不失者 --前景01/vol.1


 それを見つけたのは、少し肌寒い、スモッグが霧のようにビル街の硬質な風景をぼんやりと包んでいる早朝だった。
 私はここのところ習慣となってしまった朝6時の出勤の途中だった。年齢のせいか、昔は起きるどころか夢の中にいた時間だと いうのに、すっかりと目が覚めるようになり、年をとったと思うのが嫌で、せめて散歩がてらの早過ぎる出勤をして、日々の流れ を紛らわせていた。その中のとある朝だった。
 それは灰色のアスファルトと、灰色のビルと、それから白いスモッグの中に、いつのまにかひっそりと蹲っていた。
 あまり大きくはなく、上の一部分がふわふわと見えたのは、その頭部を覆う、珍しいくらい綺麗な銀髪のせいだった。
 一瞬手入れされた老人の頭髪かとも思ったが、それにしてはその大きく膨らんだカールがあまりに柔らかでとろけるような 甘い艶を零して輝いていたので(そう、このスモッグの中ですら!)、それが大変若い、いや、それは適切ではない、寧ろ幼いと 言えるような年齢の人間のものであると判った。
 どうせ急ぐ道筋でもなし、私はふと好奇心に駆られて(この年になると「好奇心に駆られて」なんてものは非常に珍しくなって くるのだ、ならば大切にしなければならない)その、いや、彼、もしくは彼女に近付いていった。
こんな早い時間に都心近くのこの住宅街を歩いている人間なんて、朝のジョギングや犬の散歩をする人間や、朝に家に帰る ような類の人間以外は、実際私ひとりくらいである。近くには酒場らしい酒場すらないこの土地なので、酔っ払いが倒れている のすら見たことはない。私はさして警戒心らしい警戒心も持たず、それに近付いていった。
そのあまりにやわらかい美しい銀髪をもっと近くで見たいという欲が出たというのもあるかもしれない。

 「もし、もしもし」
 私は声をかけた。老境に入ろうとする人間特有の弱々しい響きがとっさにして、私は空咳をした。
 問い掛けに、それは動く気配すら見せない。寝ているのだろうか、だとしたら冬場の早朝では風邪をひいているかもしれない。 私はたった今存在を発見したばかりの遭遇者に対して、心配さえした。我ながら人のいいことだ。 昔はこんな人間ではなかったような気がする。
 私はもっと近付いた。今朝のスモッグはここ数日で最も濃く、車がもし走っていたとしたら追突しそうなほどの白さだった。
多分3メートル先くらいに近付いてやっと、相手の姿が見えた。銀髪はいよいよ美しく輝き、そしてその下に見える顔は ミルク色の―――そう、そういえば昔に読んだ翻訳小説に、ちょうどそんな記述があった。黄色人種である自分にはどんな 肌なのか想像できず、いったいどんな色なのかと思っていたが、――そんな色の皮膚が銀色の綿のような髪の毛から 透いて見えていた。それから―――私は少し心臓がぎくりとした。
その子は―――ああ、子と言って差し支えないだろう、その手足は細く、10歳そこそこの身体つきだった―――服というものを ほぼ身に纏っていなかった。
 



←Return TO Novels TOP