世にもスリリングなアメリカ旅行記      ★★2001/11/25〜2001/12/02☆☆



旅行を計画していたのは前の年から。そうこうしている間にまさに行き先予定地で飛行機がツインタワーに突っ込み、 事故で更に飛行機が落っこちたり。はたまた感染したら最後ちっくな菌まで出現したりして。
今回の私くらい、マジな顔で「とりあえず、無事に帰ってこいよ」と言われた人間はいないのではないかと思われます。 同じくらい「飛行機飛ばない」「落ちる」とも言われたのですが。

まあ、それだけじゃなくて、ホントにいまだかつてなく大変な旅行でしたので、こんな旅行もあるんだよっつうことで皆様に。 お暇つぶしにでもなってくれればいいのですが。




  [★出発前日]



明日は出発だ。とりあえず会社からは1週間の休みをもぎ取ったし、あとはどれだけ荷物を減らせるかにかかっている…
のだが、なにせ冬のN.Y.といえば毎年ワールドニュースになるほどの寒さ。今回の旅行で最も多く滞在するボストンはといえば そのN.Y.を更に下回る気温の土地らしい。あーあ、重くなるけどコートとマフラーと靴下と…ババシャツは持ってかないとだよねえ、 えーっと、CDウォークマンは必須だとして(飛行機で絶対眠れない性質なので)、CDは…この前買いあさったマイケル・ジャクソンとJEWELの新譜とBACKSTREETBOYS(うわあアイドルだ)のベストと…うーん、もうちょい静かなのも一枚いるなあ。やっぱりここはBenForldsFiveっしょ。それから本は…あー、この前買って読んでない辻仁成の「ワイルドフラワー」あるなあ、舞台N.Y.か。ちょうどだな。それから昨日買った薄い雑誌一冊…トゥーサン…は、読むかなあ…あ、それからフイッツジェラルドも一冊。
それにしても…明日東京駅で上京した母親と待ち合わせだけど…現時点で私、飛行機の大まかな時間しかスケジュール知らないんだけどなあ。なんつーテキトーな旅行だよ、まったく。




[★出発当日成田空港→空]



この日の出発は17時の飛行機だったが、成田は遠いし用心も兼ねて13時には東京駅で待ち合わせ。成田エクスプレスで成田空港へ。
もともと母親の仕事のお供で行くので同行者がいるというのはきいていたのだが、それがもう一人いることを空港について初めて知る。おいおいもうちょっと情報よこせよ母親、まったく適当だよなあと思いつつ、多分ギリギリに駆けこんでくるだろう二人(なんでも旅慣れすぎてしまってギリギリじゃないと来ない習慣らしい。迷惑な)の前にチケットカウンターで手続きをする。
カウンターに入る前の荷物検査、いつもはここで足を止めることなどなかったのに、今回は流石に成田空港も念入り。手荷物も化粧ポーチをいちいち開けるくらいに丁寧にチェックしてて、このご時勢だよなあ、と納得。
とりあえず検査に引っ掛かるでもなく通過し、カウンターに向かう。
この日のために忙しい中あれこれやって取ったパスポートを出してチケットの発行を待つ、と…。

カウンターのお姉さんの動きが止まる。
「…あの、ご一緒のチケット、ですよね…?」
問い掛け先は母。なんだ?と不思議に思うと、お姉さん、沈痛とも厳粛ともつかぬ表情で
「…失礼ですが…こちらのパスポート(と母のパスポートを見せ)、有効期限が99年となっておりますが…(今年は2001年です)」


……マジっすか、それ?
つうか、マジかよ母、オイ。


「…ええと、新しい方のパスポート、お持ちではないですか」
とお姉さん。訊ねる声にも希望は少なめ。
「……あー、もう、どうしよう…家に置いてきちゃって…」
しまったー、しまったー、と頭を抱えて答える母。まったくしまったことこのうえないぞ母。ちなみに母親の在住地は青森。フライト時間まで行って帰って到底間に合う距離ではない。
「………つうか、どうすればいいの私は?」
一緒にどうしようとか言ってあげてもいいが、我ながらなんだかクールだ。というより、こんなトホホな状況だととりあえず自分の身の振り方をはっきりさせるのが先決というか。まったくどうするんだよ、こんな初歩の初歩というか、国内でトラブル引っ掛かって…。
母のお供で出発する私はこういう時どうしたらいいのやらさっぱりとしか言い様がない。 決定権は誰にあるのやらも判らず、宿泊地も日程も何にも知らされていない。どうせいっちゅうのこれは。

「アンタは行きなさい。先生(同行者)たち後でくるから。とりあえず一旦家帰ってパスポート取ってきてからお母さん後で行くわ」
いやまあ確かにそれが最上の道だとは思うが、だから俺はその先生とあと一名とやらの顔も名前も知らないんだっつの。 そうするうちに、チケットカウンターのお姉さんが一生懸命走りまわってくれて(本当にその節は有難うございましたって見てないだろうがここは)明日のまったく同じ便を一人分、とってくれた。
「じゃあ夜のN.Y.のホテルのチケットと予約番号、ここにあるから、これ先生に渡して」
と、母が書類を渡す…が、ちょっと待て、母、アンタはどうするんだよ。
ここのところのN.Y.付近の飛行機の危険性と仕事の都合もあって、実は今晩私達はボストンに入り、それから翌日N.Y.に行ってそこに宿泊することになっていたのだ。更にややこしいことに、その翌日は仕事のためにボストンのホテルに舞い戻っていなければならない。母親が一日遅れてボストンに着くと、ちょうどN.Y.に宿泊している日にあたってしまうのだ。
「大丈夫、先生に頼めばなんとかしてくれるから、とりあえずボストンにお母さんの分だけ宿とって。」
いやそりゃそうなんだけどー…かつてハワイでアイスクリームのひとつを買うにも英語を喋れないという理由で私を遣いにやらせた母親だけに、サンフランシスコで乗り換えのある旅路、流石に心配。ついでに母親が私に渡した書類が足りないものがないのかどうかが非常に不安。あああ、なんだって飛行機が落ちるの飛ばないのタンソ菌がどーだのと散々言われてきたが、もはやそれに届きもしないこんなところでこんな心配を抱えこまにゃーならんのか。てか母、アンタひとにはさんざパスポートパスポートと騒いでおきながら自分のパスポートが一番なってなかったんじゃねえかよ!あああ。


と、いっきになんだかハイパークラスのトラブルにぶち当たった私だったが、その後合流する筈の同行者二人がマジに来ない。
通常、搭乗手続きは2時間前からだから、3時には来るといっていたが、3時半を過ぎても来ない。さっき対応してくれたカウンターの お姉さんが心配してくれるほどに、来ない。
私と、向こうの顔双方を知っているのは母だけなので、母に発見してもらわなければいけないのだが、その母はチケットカウンターを出て 二人を探しにいってしまい、ひとりカウンター前に取り残される。

4時。ゲートが開くまであと15分。45分にはゲート自体が閉じてしまう。そのとき。

「来たよー!こっちこっち!」

ひときわ高い母の声。いつもはやかましいだけだが、こういう時はありがたい。カウンターギリギリまで走っていくと、いかにもあちこち旅慣れてそうな風体の中年男性。F矢先生、と言うのだそうだ。それから背の高い学生が一人。S藤君と言うらしい。慌しく握手をして、とりあえず二人の手続きを待つ。あまりに来なかったので本当に途中から帰りたくなってしまったので、来てくれて本当にホッとした。
…が、手続きが遅い。便が集中している時間らしく、ギリギリで来た二人の手続きが滞っている。やっとこさカウンターを出て出国手続きに進む頃には、30分を過ぎていて、流石に青くなる。ここで乗れなかったら母親の二の舞どころか、だ。
出国手続きの荷物検査で、キーホルダーにつけていたビクトリノックスの小さな身嗜み用のキット、ナイフ、ハサミがついているということで廃棄する羽目になってしまった。父から以前お祝いに貰った品だというのに…それにしても以前出国したときは引っ掛かりもしなかったのに、ああもう。
本当に文字どおり走ってゲートへ。ゲートはどこだろう、と上を見てうろうろしていると、放送で私達3名の名前が呼ばれる。飛行機に関してはいつも優等生的な乗り方をしていたので、マジで焦る。空港の係員の人をとっ捕まえてゲートの場所を聞き、でかい荷物かかえてダッシュ。息を切らせながらUA(ユナイテッド航空)の荷物検査を受け、慌てて機内へ。
機内の席に座った瞬間には、ああ、今度こそ本当に安心していいのだなあ、と深く溜め息を吐いてしまった。


もう前途多難っていうか、なんていうか。そんな言葉で片付くのだろうか、これ。



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