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「・・・・・・で、・・・やんか、すっごい可愛いんよ。」 
  「こないだもな、お買い物してたんやけどな・・・・」 
  他愛のない会話が心地よい。 
  最近の生活の愚痴やら笑い話やらを、ケイは、京都訛りのやわらかな関西弁でしゃべってくれる。 
  男は、うれしそうに、そして熱心に相槌をうった。 
  男はすごく幸せだった。 
  ・・・・でも、同じだけ切なかった。 
  この笑顔は手に入らない。その想いが男の心を締め上げた。 
  目の前に居るはずのケイが、ひどく遠くに感じる。 
  思わず男は辺りを見回した。 
  見てくれだけの、質の悪いソファー。 
  毒々しい蛍光に光る、品のない壁紙。 
  心にもない笑顔を貼りつけた、美しい女達。 
  そして・・・それに群がる悲しい男達。 
  薄暗い店内に溢れていたのは、偽りだった。 
  確かに男は若かったが、それが判らないほどではなかった。 
  社会生活の中で鍛えられた彼の洞察力が、その後ろに隠れている現実を・・・味気ない現実を思い起こさせた。 
  胸の中の葛藤がふと戻ってきそうになって、必死に考えを打ち消す。 
  ケイがまた笑った。 
  ・・・この笑顔だけは偽物じゃない。 
  あと・・・ほんの少しだけ。 
  今はこの幸せだけを感じていたい。 
  男はただ、そう思った。 
  ・・・・・・・・・・・ 
  ・・・・・・・・・・・ 
  なんとなく話のネタがつきかけた頃 
  男はケイの持ってるポシェットの中身を見せてほしいと言った。 
  はずかしそうにしながら、ケイはテーブルの上にポシェットの中身を机に一つ一つだし始める。 
  「これ、タバコケースなんやけど、ちょっとめずらしいやろ?ジーンズの生地で作ってあるんよ。」 
  「これはおうちの鍵。っていうか、友達の部屋なんやけどな。このマスコットは随分昔に友達からもらったんよ、かわいいの。うちの宝物や。」 
  「そしてこれがね・・・・」 
  彼女は一つ一つに簡単なコメントとか思い出とか、いろんな話をしながら見せてくれた。 
  ・・・ひどく心が痛い。 
  男は以前、冗談のつもりで「付き合おうよ。」と言った事があった。 
  だが、その冗談に、ケイはひどく怯えた瞳で「今は恋愛なんかできない。」と、答えた。 
  ケイの身に何があったのだろう? 
  不信に思った男は原因を聞いたが、彼女は教えてくれなかった。 
  ただ、ぽつり。うつむいたまま「恋人に裏切られたんや。」と。 
  その姿が、男には忘れられなかった。 
  何が有ったか知る由もない。言いたくないのなら無理に言わせるつもりもない。 
  ケイは男にとって、決して手に入る事のない哀しい色の宝石だった。 
  それでも男は、すまなそうに同伴してくれと頼む彼女を、守ってあげたかった。 
  そそっかしくて、営業が得意じゃなくって、ひどく危なっかしいケイ。 
  会って三ヶ月。 
  たまたま、先輩に連れられて入ったキャバクラ。 
  そんな中で見つけた、可憐な人。 
  ひどく無防備な、愛しい人。 
  今、ケイは友達の家に居候していた。 
  そして、一人暮しを始めるために必死になって働いているのだ。 
  昼はOL、夜はキャバクラの二重生活。 
  いったい何時ゆっくり眠れると言うのか。 
  「大丈夫か?、顔色悪くないか?」 
  「無理すんなよ。」 
  そう言うたびに、彼女は笑顔で言う。 
  「ん?大丈夫。そんな気にせんでもええよ。うちは元気や。」 
  その時だけ、男にはケイが嘘をついている様に思えるのだった。 
  ケイは、マルボロのメンソールを煙草ケースから取り出すと、手に持つ。 
  男はいつものように彼女の煙草に火をつけてやった。 
  立場がまったく逆の様だが、いつのまにか習慣になっている一種の儀式。 
  そうすると彼女が笑ってくれるのだ。 
  いつもの様にケイが言う。 
  ホストみたいだね、と。 
  笑ってくれる。微笑みかけてくれる。 
  男はそんな彼女の笑顔がたまらなく好きだった。 
  こんな姿、会社の後輩達には見せられないな・・・。 
  頭の片隅でそんなことを思いながら、男はケイの笑顔を見つめていた。 
  「一本もらっていいかな?」 
  テーブル上の一風変わったシガレットケースから、男は、その細身の煙草を口にくわえた。 
  「いいけど・・・タバコ吸うん?」 
  ケイは、ちょっと狐につままれたような顔をして、火をつけた。 
  あぁ、今までの俺は演技してたのさ。 
  今までイイ奴のふりしてたけどな。 
  本性はこっちさ。 
  ニヒルに煙草を吹かしてみせたつもりの仕草が、妙に滑稽で、ケイは、笑った。 
  つられて男も笑った。 
  ひとしきり笑った後、男は思った。 
  楽しくて、嬉しくて、そして・・・切なくて。 
  ・・・このままじゃ、いつもと同じだ。 
  ふっ、と気が緩んでしまいそうになった自分を戒めるように、テーブルの上の財布を握り締める。 
  男は自分に言い聞かせた。 
  さぁ、ここからが、本番だ。 
  「あのさ今夜、空いてるか?」 
  ん?と、ケイが一瞬何を言いたいのかわからないといった表情を浮かべる。 
  「ちょっと付き合えよ。タクシー代ぐらいは出すからさ。」 
  男はテーブルの上においた黒の二つ折りの財布を懐に戻しがてら、ちらりと広げて見せた。 
  その男にとって普段では考えられないくらい厚い財布だった。 
  ケイの顔が急に曇る。 
  今までとはうってかわった、張り詰めたような空気が、二人の間に押し寄せる。 
  うつむき加減で押し黙ってしまったケイ。 
  そこへ黒服がやってきた。 
  「お時間となりますが?」 
  あぁ、終わりにしてくれ。 
  清算して、上着と荷物を受け取る間。 
  エレベータの下ボタンを押し、扉が開くまでの間。 
  ケイは、終始黙ったままだった。 
  男も無言のままエレベータに乗る。 
  「どうするかはどっちでもいい。とにかくおわったら駅前のコーヒーショップの前まで来いよ。」 
  振り返った瞬間、男は追い討ちをかけるように、こっそり抜き取ったケイの家の鍵をちらつかせた。 
  あ・・・と言わせるまもなくエレベータの扉が閉まった。