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長野県北相木村

相木城

2008年09月24日

北相木村役場を訪れて相木城について聞いてみました。しかし学芸員の方が不在とのことでとりあえず考古博物館にあった「相木氏と相木城」という冊子を紹介してくれたので100円で購入しました。これを読みながら郵便局前にあるという「史跡相木城址」の石碑のところに行ってみることにしました。すると住民の方が相木城のことだったら太龍寺の住職さんに聞いてみるといいですよと教えてくれました。ついでに郵便局の場所を聞いたら結構歩かないといけないことが分かり、車で行くことにしました。郵便局前には確かに石碑がありました。しかし遺構などは確認することはできませんでした。郵便局に入って相木城について聞いてみると、方角はちょうど郵便局の斜め後ろの方ではないかとのことでした。先程100円で購入した冊子にあった相木城図を見てもらって現在地がどこらへんなのか教えてもらって位置を確認しました。しかしよく分からなかったので登ってみることはやめました。

■所在地
南佐久郡北相木村坂上
■位置
南佐久郡北相木村は南佐久郡の東にある。村は東が群馬県に接しており、栂峠・武道峠を越えると群馬県、更に埼玉県秩父地方に出られる。上州の白井には関所が置かれた。このため秩父との交通が盛んで秩父産の板碑も2枚あり、秩父事件には北相木村の菊池貫平が困民軍の参謀長として活躍している。この谷の東にある御座山から北相木川が流れ、小海で千曲川に合流している。
■城の構造
この城は佐久の豪族相木氏の根城で平山城に属する。相木城の構造は北相木川の河谷の中で洪積層のやや広い大地を利用して築城したもので、川が大きく曲って城の東・南・西の三方を流れており、そこは高さ10メートルから数十メートルの断崖となっている。北は高い山嶺である。その全域を城郭とし、その中には当時の家臣の屋敷もあったものと思われる。山と川とを利用した自然の要害である。東方は自然の渓谷を利用した大堀切うをもって防ぎ、西は坂になっているが、更に西の丸の一郭を設け、その西に小郭を築いて要害を一層堅固にしている。城門は南方相木川近くに設けられて、そこが御門と呼ばれ大手になっていて一郭をつくってある。
(「相木氏と相木城」より)

 

 
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