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長野県佐久市

荒山城

2014年05月03日

伴野氏前山城の属城である荒山城の名は、「貞祥寺開山歴代伝」の中に初めてみえる。大永元(1521)年以降、貞祥寺開基の伴野貞祥の弟刑部大輔貞慶およびその子兵庫助貞秀が在城した。天文18(1549)年に伴野氏が武田氏に降ってのち、永禄年間頃までは市川梅蔭斎等長が在城していたと伝えられているが、この頃伴野善九郎とその子藤右衛門に代わった。天正年間初期には市川和泉長義とその子義信が在城したが、同10(1582)年の武田氏滅亡後は、徳川氏配下の依田信蕃によって攻略された。現在本丸跡にある稲荷社は落城の際に自刃した義信の母高を祀ったものと伝えられている。
(日本城郭大系より)

長命寺



2009年05月05日

伴野氏前山城の属城である荒山城の名は、「貞祥寺開山歴代伝」の中に初めてみえる。大永元(1521)年以降、貞祥寺開基の伴野貞祥の弟刑部大輔貞慶およびその子兵庫助貞秀が在城した。天文18(1549)年に伴野氏が武田氏に降ってのち、永禄年間頃までは市川梅蔭斎等長が在城していたと伝えられているが、この頃伴野善九郎とその子藤右衛門に代わった。天正年間初期には市川和泉長義とその子義信が在城したが、同10(1582)年の武田氏滅亡後は、徳川氏配下の依田信蕃によって攻略された。現在本丸跡にある稲荷社は落城の際に自刃した義信の母高を祀ったものと伝えられている。
(日本城郭大系より)

「城と古戦場」サイトによると荒山城は長命寺を目印にすれば行けそうでした。長命寺にはたどり着くことができましたが、誰もいなくて詳細については分かりませんでした。長命寺の裏側である城の本丸の方角で農作業をしている方がいたので聞いてみましたが荒山城というのは聞いたことがないとのことでした。
畑の上は郭のようになっていて隣も堀を介して別の郭のように見えました。そちらも畑になっていました。一番上まで登ってみると市街地がよく見えました。また何体かの石像と祠がありました。

長命寺

 
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