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長野県長野市

大鋒寺

2005年09月24日

真田昌幸の長男である真田信之の霊屋があるとのことで寄ってみました。場所は山本勘助の墓のすぐ近くでした。千曲川の堤防沿いの道を走っていくと見つけることができますが、道が狭くてなかなか現地にたどり着けませんでした。真田信之の霊屋というのは同じく長野市内の松代の長国寺というところにもありましたが、そちらに比べると小さなものです。ここは真田信之が隠居していたところとのことで、ここで亡くなりそのまま寺にしてしまったようです。住職らしき人に真田信之の墓の場所を尋ねたら本堂の横とのことだったので霊屋を見学しただけだったのですが、帰宅後の調査により、ここには真田信之の墓もあるとのことでしたので後日再訪問が必要となってしまいました。


大鋒寺真田信之霊屋

松代初代藩主真田信之の隠居所書院跡に建てられた霊屋。信之は明暦2(1656)年隠居し、翌3年7月、新造の隠居所に移った。同4(万治元)年93歳の天寿を全うして没し、遺命により隠居所を寺とし、真田林大鋒寺と号した。大鋒は信之の院号である。2代信政は父より先に没したので、3代幸道の時、伽藍が建てられた。霊屋は書院の場所に建てられ、信之の信仰していた阿弥陀三尊を本尊とした。
正面3間、奥行5間、奥行の柱間は狭く、4、5尺である。宝形造・カヤ葺きである。外陣の欄間には36歌仙画が飾られているが、残っているのは24枚である。内外陣の柱2本が円柱で、その上に木鼻付の出組があり、ここだけが仏寺用の木組になっている。
内陣中央に阿弥陀三尊、向って左に信之像(厨子入)、右に2代信政の画像を安置してあったが、明治4年、松代花の丸御殿にあった8代幸貫の像を移し、内陣奥に主張りを新造して三尊を安置し、幸貫像を左、信之厨子を中央に、信政画像を右に安置した。この霊屋は由緒がはっきりしており、近世初期の建築で、文化的価値の高い建築物である。
(看板資料より)

 
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