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長野県小谷村

玉泉寺

2009年05月03日

この寺の前身は真言宗の宝泉寺といわれ、永禄年間には武田信玄が十貫文を寄進した。本堂の裏山には弘治3(1557)年平倉城で武田軍に囲まれて戦死した飯森春盛の墓があり、その位牌や遺品の数珠が寺に残されている。
(信州の仏教寺院より)

飯森十郎盛春の墓

平倉城主であった飯森十郎盛春の墓があるとのことで今回立ち寄りました。境内にはなんと雪があって小谷村の雪深さに驚かされました。お寺の屋根の勾配も他の地域と比べて少し急であるように見えました。朝早い時間でしたがお寺の方が丁寧に対応してくださいました。飯森十郎盛春の墓は本堂に向って左側の坂を登って行ったところにあるとのことでした。行ってみると少し階段を登ったところにありました。向って左側に歴代住職の墓と思われるもの。向って右手前に飯森十郎盛春の墓がありました。

 

 
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