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山梨県甲州市

姫ヶ淵

2014年12月27日

姫ヶ淵の由来
天正10(1582)年3月11日武田勝頼公一族は、織田、徳川の連合軍の攻撃を受け激戦の末家臣と共に悲惨な最期をとげ、新羅三郎義光以来甲斐の守護として連綿と続いた甲斐源氏はその歴史を閉じた。
その折勝頼公夫人北条氏の侍女16人は若い生命を日川の淵に身を投じて殉死したと伝承され、後世の者はこの淵を姫ヶ淵と言い伝えているが、現在の日川は上流で発電用水として取水しているために水量が少なくその様相を変えている。
この石碑は北条夫人を含めた17名を表現したもので、侍女らを顕彰し慰霊するものであり、山梨の歴史文化公園に指定されたを期に建立したものである。
(看板資料より)



2003年08月30日

 

姫ヶ淵の由来
天正10(1582)年3月11日武田勝頼公一族は、織田、徳川の連合軍の攻撃を受け激戦の末家臣と共に悲惨な最期をとげ、新羅三郎義光以来甲斐の守護として連綿と続いた甲斐源氏はその歴史を閉じた。
その折勝頼公夫人北条氏の侍女16人は若い生命を日川の淵に身を投じて殉死したと伝承され、後世の者はこの淵を姫ヶ淵と言い伝えているが、現在の日川は上流で発電用水として取水しているために水量が少なくその様相を変えている。
この石碑は北条夫人を含めた17名を表現したもので、侍女らを顕彰し慰霊するものであり、山梨の歴史文化公園に指定されたを期に建立したものである。
(看板資料より)

 
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