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長野県長野市

水内総社日吉大神社


2007年05月20日

水内総社日吉大神社は栗田鶴寿(永寿軒)の居城である栗田城であったとのことで今回立ち寄ってみました。場所はかなり分かりづらく狭い道を何度も行ったり来たりしてやっと見つけることができました。道を聞いた人たちのお話では境内に大きな木があって有名なのだそうです。現地に到着して鳥居をくぐるとその大きな木が見えてきました。歴史のあるところの木は大きな木がありますがここの木はすごく立派な木でした。境内の中央部分が高台になっていてそこに本堂?がありました。


当社の創立は遥かなため年代は確かではありません。平安時代の末頃からこの地は北信濃の名族村上源氏の一族である栗田氏の本貫の地でありました。栗田氏はやがて戸隠・善光寺の別当として勢威を奮うようになり、その栗田氏の氏神、守護神、として滋賀県比叡山の東麓坂本に祀られている日吉大社の御分霊を長野市岡田の地に勧請し、日吉山王として永年奉斎してまいりました(山王の地名はこれに由来します)。
甲越二雄の川中島合戦の後、栗田氏の所在が四散したので、以降栗田に住む人々が氏神としてお祀りしてきました。一方、現在のこの地は栗田氏が南北朝時代以前に築いた城跡で、元和元(1615)年栗田掘之内城取毀し後、栗田に住む人々の氏神(栗田権現)として戸隠の神神(配神三体)を祀っておりました。
明治41(1908)年に岡田の水内総社日吉大神社(日吉山王)と、別に吉原組(元戸隠領)で奉祀しておりました日之御子神(天鈿女命を祀る)をこの地に遷し、栗田大元神社(栗田権現)と三社を合祀し名称を水内総社日吉大神社として今日に至っております。
(看板資料より)


高札場

江戸時代幕府の命により種々必要な法令を板製の立て札(高札)に書いて公示するために作られたものである。従って人々が集まり、目につく場所に建てるため街道の宿駅に建てられたものが多い。
高札場は二種類あり幕府領の高札を掲げるものと、藩の諸法令を掲げるものとがあった。
栗田村は幕府直轄領だったので、道中奉行の指示によりこのような立派なものが正徳(1711)年間に設置された。法令は、キリシタン禁制、火事、徒党、貨幣、交通等に関するものであって、慶応(1867)に至るまで使用されていた。
(看板資料より)

 

 
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