一条忠頼の墓 |
2007年04月15日 |
一条忠頼の墓
甲斐源氏の一条次郎忠頼は、明楽寺の開基。元暦元(1184)年、源頼朝に鎌倉で謀殺された。忠頼の所領はこの大井荘南条にも及び、現宝林寺がその屋敷跡だったという。 |
一条忠頼の墓からの景色
増穂町役場で場所を聞いてみましたが運良くこの日はたくさんの方が出勤されていたので町内の歴史や史跡に詳しい方にお会いすることができました。役場からもう少し奥の方に入って行ったところにあるようで、場所が書かれた地図を頂きました。その地図をもとに現地に向ったのですがなかなかたどり着くことができませんでした。農作業に従事されている方数名に一条忠頼の墓はどこにあるのか聞いてみましたがどの方も親切に教えてくれました。また皆さん声が大きく元気な人ばかりでした。そして一条忠頼の墓は階段を数段登ったところの畑の中にありました。お墓のある所まで登ってみて後を振り返ってみると甲府盆地が一望できる素晴らしい景色でした。
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