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愛知県新城市

川尻城

2014年03月29日

川尻城冠木門

川尻城は応永年間(1394〜1428年)に奥平貞俊によって築城された中世の平山城である。標高570メートル、比高差40メートルの独立丘で、山上の本丸は東西75メートル、南北32メートルの楕円形をしており、当時は周囲に土塁をめぐらしていたと考えられる。
後に貞俊は川尻城が手狭となり、より広い清岳に亀山城を築き移った。現在は忠魂碑建ち戦没者の英霊を祀る聖地となっている。
(看板資料より)

奥平貞俊が天授年間(1375〜80年)に群馬県吉井町から来て、応永31(1424)年に築城したが、手狭なため亀山城へ移った。現在は創造の森城山公園として親しまれている。
(パンフレット資料より)



2005年02月11日

川尻城は応永年間(1394〜1428年)に奥平貞俊によって築城された中世の平山城である。標高570メートル、比高差40メートルの独立丘で、山上の本丸は東西75メートル、南北32メートルの楕円形をしており、当時は周囲に土塁をめぐらしていたと考えられる。
後に貞俊は川尻城が手狭となり、より広い清岳に亀山城を築き移った。現在は忠魂碑建ち戦没者の英霊を祀る聖地となっている。
(看板資料より)

川尻城冠木門

奥平貞俊が天授年間(1375〜80年)に群馬県吉井町から来て、応永31(1424)年に築城したが、手狭なため亀山城へ移った。現在は創造の森城山公園として親しまれている。
(パンフレット資料より)

奥平氏が上野国から作手に移ってきて、亀山城に入る前にいたところとのこと。作手の役場から少し北に行って狭い道を右に入っていくと駐車場があります。しかし私は更に左の狭い道を進んでしまい、川尻城本丸まで車で行ってしまいました。上の写真のようにきれいに整備されていました。

 

 
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