| 葛山城 |
2014年01月18日 |

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葛山城は鎌倉・室町・戦国期を通じて、関東一帯に勢力を持った葛山氏の本拠地である。 |
東の掘切(二号掘)

帯曲輪

本丸

西の掘切

東の掘切(一号掘)

東曲輪

大手曲輪

葛山氏墓所

2003年06月01日 |

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葛山城は鎌倉、室町、戦国期を通じて東駿一帯に勢力を振った葛山氏の本拠地である。この地には葛山氏が平時居住した館跡と戦闘に備えて築造した城跡があり中世城郭の形態を明確に知ることができる数少ない貴重な史跡として国の重要文化財に匹敵するといわれている。 |
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葛山氏は東駿一帯に威をふるい、今川に属しつつも甲斐や相模との外交を行っていた。信玄が駿河に攻め込んだときは今川方の武将として参陣した。しかし既に武田方に内応しており戦うことなく撤退している。そのため武田軍がこの城を攻めたことは無いはず。その後謀反の疑いで信玄に誅されたといわれているが真相は分かっていない。葛山城はかなり規模が大きく、本丸、二の丸、帯曲輪のほかにも多くの堀が残されている。 |

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葛山館址 |
葛山氏墓所