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新潟県長岡市

上杉謙信公像

2007年11月24日

秋葉公園内の秋葉神社の裏側に上杉謙信像があるとのことで立ち寄りました。美術館の駐車場から少し下り、秋葉神社奥の院の横にある駐車場に車を止めて公園の中に入っていきました。ここにも油揚げを売っている食堂のようなものがありました。大きい像なので場所はすぐに分かりました。上杉謙信公が座っている像でした。

上杉謙信傳
上杉謙信公は春日山城に生まれ、天文12年14歳の時、下郡鎮定の使命を帯びて吾が栃尾城に入城し、活躍の第一歩をこの地に印し、後遂に戦国時代の代表的名将となりました。
公は深く佛道に帰依し、7歳にして林泉寺に入り天室光育和尚の薫陶を受け、その後益翁宗謙等に禅を学び、大徳寺徹岬に参じて戒を受け、高野山に登り無量光院の清胤に詣で、佛門に入らんとせしも、家臣の懇請によって思ひ止まらざるを得なかったのであります。公はまた陣中にあっても神佛を信仰し、我身は神佛と共にあるを自任していました。筋目を守り、義に厚く、二度も上洛して大義名分を明らかにし、巣守神社に社領を寄進し、幼少時代の恩人門察和尚のために常安寺、秋葉大権現を建立。敵将に塩を贈る等の慈悲心も持っておりました。常に学問を愛し、漢詩、和歌、書道、茶道、琵琶等にも通じ、教養豊かな文化人であり、
 霜満軍営秋気清 数行過雁月三更
 越山併得能州景 遮莫家卿憶遠征
この一詩は七尾城攻囲の折に作ったものであります。
又、意を民政に用い、新田を開発し、中ノ口川を通じて蒲原平野の湛水を排し、道作奉行を置いて道路、橋梁を開鑿し、青芋を京阪に送って領民の経済を豊かにしました。
越後の誇る名将謙信公の魂は實に吾が栃尾の山河によって育まれたのでありませう。巍然たる栃尾城址を仰ぎ、公の居館なりし大野部落を俯瞰すれば公の遺徳が油然として偲ばれ、我々はここに生を享けたことに大きな誇りを感ぜずにはおられません。
(石碑記載文章より)

 

 
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