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山梨県甲府市

高源寺

2013年09月01日

 
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当山は、室町時代の始め文安年間(1444〜49)常光院日礼上人により草創され、中巨摩郡櫛形町上市之瀬の本山妙了寺の隠居寺と伝える。
天正19(1591)年身延山末寺帳に二百八坪高はたけ高源寺とあり。また年月不詳なるも、戦国の雄武田信虎公、駿河への途中当山に宿泊せりと伝え境内に歌碑あり。
 信虎の君がひと夜のとまりつる
 かたみに残る御佛の像
新客殿に安置せる釈迦如来立像はこのときの御像であろうか。以来、歴代上人の丹精により境内伽藍等、次第に整備されたるも、昭和20年7月6日米軍の甲府空襲により山門を残して、一切鳥有に帰す。時に三十二世眞如院日乗上人、直ちに復興に着手、昭和20年に仮本堂、同23年に本堂兼庫裏を建築、同35年には、木造モルタル造り、45坪の本堂、同41年、書院等復興せり。
小納、昭和44年秋、当山三十三世を継承、同48年木造50坪余の庫裏新築、同50年に山門の修復、さらに墓地の拡充、庭園の整備等を行い当年の宗祖日蓮大聖人第七百遠忌を記念し、当山復興の概要を記して後世の礎となさん。
(石碑記載文章より)



2013年02月03日

当山は、室町時代の始め文安年間(1444〜49)常光院日礼上人により草創され、中巨摩郡櫛形町上市之瀬の本山妙了寺の隠居寺と伝える。
天正19(1591)年身延山末寺帳に二百八坪高はたけ高源寺とあり。また年月不詳なるも、戦国の雄武田信虎公、駿河への途中当山に宿泊せりと伝え境内に歌碑あり。
 信虎の君がひと夜のとまりつる
 かたみに残る御佛の像
新客殿に安置せる釈迦如来立像はこのときの御像であろうか。以来、歴代上人の丹精により境内伽藍等、次第に整備されたるも、昭和20年7月6日米軍の甲府空襲により山門を残して、一切鳥有に帰す。時に三十二世眞如院日乗上人、直ちに復興に着手、昭和20年に仮本堂、同23年に本堂兼庫裏を建築、同35年には、木造モルタル造り、45坪の本堂、同41年、書院等復興せり。
小納、昭和44年秋、当山三十三世を継承、同48年木造50坪余の庫裏新築、同50年に山門の修復、さらに墓地の拡充、庭園の整備等を行い当年の宗祖日蓮大聖人第七百遠忌を記念し、当山復興の概要を記して後世の礎となさん。
(石碑記載文章より)

 
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