←前のページ トップページ↑ 次のページ→

長野県長野市

耕心庵


2015年06月13日

耕心庵縁起(甲信庵)
川中島の合戦(4回目)が終りこの地方は武田方に属す。信玄公巡国の時、この地に立ち寄り、川中島合戦場を見下ろして、この處はまさに景勝地であると感嘆し、ここに禅寺を建立し、法性山甲信庵と名づくべしと高坂弾正に命じた。寺が完成し、青面金剛を本尊としてまつり、四十六貫文の土地を興えて、玄峰院二世宗益を住職にむかえた。この時まさに、永禄4年10月のことである。その後420年の歳月が流れたが、近在の人達の篤い信仰によって法燈は今も守られている。
(看板資料より)


信玄桜


弥勒菩薩

この弥勒菩薩は、安永年間(1772)松代藩重役弥津神平の発願によってまつられた。石佛に金箔がはられた仏様で、他では一寸みられないすばらしい弥勒様である。
中国では南嶽慧思禅師が弥勒下生の時、再び世に出たいと願望した話も残されているし、玄奘法師も弥勒信仰を広めた話も残されていて、諸願成就する有難い仏様である。当寺では川中島合戦の戦死者をここで供養しています。
(看板資料より)

 



2007年05月20日

耕心庵縁起(甲信庵)
川中島の合戦(4回目)が終りこの地方は武田方に属す。信玄公巡国の時、この地に立ち寄り、川中島合戦場を見下ろして、この處はまさに景勝地であると感嘆し、ここに禅寺を建立し、法性山甲信庵と名づくべしと高坂弾正に命じた。寺が完成し、青面金剛を本尊としてまつり、四十六貫文の土地を興えて、玄峰院二世宗益を住職にむかえた。この時まさに、永禄4年10月のことである。その後420年の歳月が流れたが、近在の人達の篤い信仰によって法燈は今も守られている。
(看板資料より)


弥勒堂

この弥勒菩薩は、安永年間(1772)松代藩重役弥津神平の発願によってまつられた。石佛に金箔がはられた仏様で、他では一寸みられないすばらしい弥勒様である。
中国では南嶽慧思禅師が弥勒下生の時、再び世に出たいと願望した話も残されているし、玄奘法師も弥勒信仰を広めた話も残されていて、諸願成就する有難い仏様である。当寺では川中島合戦の戦死者をここで供養しています。
(看板資料より)


信玄桜

茶臼山公園の山腹に耕心庵というものがあるという情報を入手したので現地に行ってみました。茶臼山の麓には私の大学時代の知り合いが住んでいるのですが、今回篠ノ井駅あたりまで行ってから電話をかけてみたら運良く自宅にいたので一緒に耕心庵に行くことにしました。耕心庵の境内には信玄桜という名の桜の木がありました。また豊川稲荷の神社や弥勒堂がありました。

 

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→