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山梨県韮崎市

満福寺

2013年09月07日

 
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武田の祖・新羅三郎義光からたどること11代目、当時の甲斐安芸守護武田信武の5男・義武(穴山四郎)が、逸見郷の重要拠点であった「穴山」を領し、地名を姓として「穴山氏」を名乗った。この穴山氏の菩提寺として建立されたのが満福寺である。明徳3(1392)年、穴山満春が甲斐河内(峡南地方)に移るとともに一時期衰退したが、甲斐市亀沢の天澤寺の2世明江徳舜を中興開山として文亀2(1502)年復興。更に穴山氏の中でも最も名高い穴山信君(梅雪)によって寺領の寄進を受け、菩提寺として栄えてきた。
穴山氏と同寺の関係を今日に伝えるものは、本堂の裏山にある「穴山氏の墓」。本堂左手から大きく本道裏に回りこみ、庫裡の裏でもう一度折り返しながら5mほど山に登ると、石仏、無縫塔が竹や杉の木を背景に横一列に並んでいる。その列の一番奥に少し形の変わった宝篋印塔がある。市指定の「穴山氏の墓」である。寺記によると信君とあるが、これら崩壊した墓碑は始祖義武らの墓とみられている。
(甲斐百八霊場より)



2004年04月24日

大龍山満福寺
曹洞宗、山号は大龍山、後方に七里岩片山を背負い、前方を桐ノ木川(塩川)が流れる。本尊は薬師如来である。寺記に文亀2(1501)年開創とあるが、穴山氏は南北朝初期、武田信武の子義武が興した家であるから寺の発祥は古い。
文亀2年は穴山信懸(のぶとお)が寺を再興して明江徳舜和尚を請じ曹洞宗に改宗して開山と仰いだ年と考えられ、また梅雪は外護に努めた名将なので、中興開基とされたのである。寺宝に涅槃図(長谷川三郎兵衛筆)十六善神図などがある。境内に市指定史跡「穴山氏の墓」がある。寺記に信君の墓とあるが、むしろ室町初期の穴山義武、満春とみる方がより近い。
(看板資料より)

 
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