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山梨県富士河口湖町

本栖口留番所跡

2012年11月25日

本栖口留番所は、甲駿を結ぶ中道往還の要衝駿州との国境本栖湖畔にあったとされる。口留番所のあった場所は、その後幾星霜を重ね、長い歴史の経過と共に様変わり、近年に至り国道139号線の拡張工事によって大きく改変されて往時の面影を偲ぶよすがはもはやない。その場所は、本栖三叉路の南、山神社北辺り、神社手前を湖畔の方に下る旧道脇であったという。
本栖口留番所は、江戸時代の甲斐24口留番所のうちの一つであり、武田信虎・信玄治下の戦国時代には、古関口留番所と共に、この地の武士団西之海衆(西湖周辺に居住していた在地武士団)が警護にあたっていたという。その後、西之海衆の一人渡辺囚獄佑の支配するところとなり、武田氏滅亡後も、囚獄佑は「甲駿路警護を申し付ける」旨の朱印状を徳川家康から与えられている。
(上九一色村の史跡より)

 

 
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