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山梨県甲斐市

妙善寺

2006年03月12日

甲斐市の妙善寺というところに、阿部勝宝の墓があるという情報を入手したので寄ってみました。現地では安倍加賀守の墓として説明されていました。境内を探したのですが見つけることができず、お寺の方に場所を教えてもらいました。上の写真の門をくぐって下の本堂にでてから左奥方向に進んで行くと庭園?がありその一番上にあるのが安倍加賀守の墓とのことでした。右側から登っていくように勧められたのでそのとおりに登りました。この一帯が妙善寺庭園なのかなと思ったのですが写真を撮るのを忘れてしまいました。
甲陽軍鑑の品第五十七の「小山田兵衛尉逆心、勝頼公討死の事」には、安倍加賀守の最後の様子が書かれています。

妙善寺庭園・本堂厨子
この庭園は江戸初期元禄年間につくられ、県内で最古の枯山水庭園であると思われる。この庭園は石組みに形のよい横石が多く用いられ、角が適度にとれた横に組み込んだ石組であり、庭の左手上方の立石はするどい感覚で組まれ、この立石の右手山畔の横石はその線がまことに優雅であり、力強い。この横石の右下に思い切った巨石の横石が据えられ、この石の量感により、庭に大きく変化を及ぼし、この石を通じて立石方面を眺めた景が遠近感のある立派な量感を与えている。又、下部の平地部分に据えられた大きな平石は、禅宗の修行の場として使われた拝礼石、あるいは座禅石と考えられ、全庭の大きな要点となっている。
全庭の構成は横石ながら大小高低の変化があり、石組の関連がよく、要所にしっかりと石を組んでいる所がこの庭の見どころである。
妙善寺は元弘年間(1333年)に開山された寺である。本堂にある厨子本体の総高は1.59m、奥行0.99mあり、軒の出深くのびやかな感覚である。正面の扉は幅0.51m(二枚合せて)、高さ0.41mの桟唐戸で長押間に組み込んでいる。扉に打たれた八双金具は長押のものと、同形式で簡素ながら中世(室町時代末期)の様式を持っており、入八双金具はそれぞれ猪の目を見せている。木鼻は、桃山時代以降のものとは異なった伝統的な形式を残しており中世系のものである。又、狐格子は下に前包がなく、古様で中央の懸魚は蕪(かぶら)懸魚であり、その巻き込み等に力があり美しい。又、懸魚上部は六葉なるところを、五弁の八重梅を打ってあり、工芸的で朱色があざやかである。
(看板資料より)


安倍加賀守の墓

安倍加賀守勝宝(又は定村)は武田家の重臣使番十二人衆の一人で弓矢の功者であったと言われ天正十年壬午(1582)3月3日新府落城のおり、主君勝頼公と共に天目山に落ち延び鳥居畑の戦いに於て織田信長麾下の大軍と戦い3月11日田野に殉死す。家臣雨宮新介ひそかに首級を携え当地に葬る。時に53歳であった。法名は妙善寺殿香山道義大禅定門と言い、三基の宝篋印塔の中央が勝宝、二基は信州高遠城に於て城主仁科五郎盛信と共に殉死した二子の墓で左が長男掃部介貞直、右が次男右衛門尉道忠と伝えられる。
(看板資料より)

 

 
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