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群馬県渋川市

長井坂城

2016年08月13日


二の丸

勢多・利根の郡界で、西は利根川の断崖、北は昭和村永井の深い谷、東南は赤城原野に続いて、沼田街道、「長井坂」の要所にある。極めて要害堅固の地に築かれた、戦国時代の代表的な崖端城で、永禄年間(1558年〜1570年)の築城と考えられる。永禄3年、上杉謙信が関東出陣の際、この城で沼田顕泰を降した。
天正10年、北條氏邦が大挙北上して、真田昌幸を沼田城に撤退させたあと、北条方の白井長尾氏が緊急補強の工事を実施した。
その後、天正18年まで北條軍が沼田城攻略の拠点とした境目城で、遺構は北條氏が慣用した築城方式といわれている。
(看板資料より)


三の丸


三の丸(西)跡


馬出し跡


堀跡

 



2005年04月30日

勢多・利根の郡界で、西は利根川の断崖、北は昭和村永井の深い谷、東南は赤城原野に続いて、沼田街道、「長井坂」の要所にある。極めて要害堅固の地に築かれた、戦国時代の代表的な崖端城で、永禄年間(1558年〜1570年)の築城と考えられる。永禄3年、上杉謙信が関東出陣の際、この城で沼田顕泰を降した。
天正10年、北條氏邦が大挙北上して、真田昌幸を沼田城に撤退させたあと、北条方の白井長尾氏が緊急補強の工事を実施した。
その後、天正18年まで北條軍が沼田城攻略の拠点とした境目城で、遺構は北條氏が慣用した築城方式といわれている。
(看板資料より)

馬出し跡

長井坂城は、関越自動車道の長井坂トンネルの真上にありました。話によれば関越自動車道の工事を行う際に、この長井坂城の遺構を保存するために長井坂トンネルを作ったのだそうです。
長井坂城への道のりは、途中案内板がいくつかあるので分かりやすいと思いますが、城に近づくにつれて道は狭くなり、本丸入口付近からは、長井坂トンネルから続いている関越自動車道を望むことができました。

二の丸跡

下の写真の堀を隔てて奥に行ってみると、西側の利根川の断崖を確認することができます。断崖の上に沿って遊歩道があり、歩くことができますが、断崖の険しさは物凄く、思わず足がすくんでしまいました。所々柵が無いところもあり危険ですので注意が必要です。

追手跡

三の丸跡

 
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