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山梨県北杜市

中山砦

2008年01月03日

遊歩道入口(中山峠)

今朝の最初の目的地は曲渕氏屋敷跡でしたが、現地に到着した時、まだ日が出ていなかったので先に中山砦に行くことにしました。中山砦は中山の山頂にあるらしく、そこに行くには中山峠に行ってそこから歩くとのことでした。7時には中山峠に到着しました。膝のサポーター、手袋、杖、靴はそのままでしたがヒモをきつくしめなおしました。車の温度計では-3℃でした。外で準備をしているうちに指の感覚がなくなってしまうほど寒かったです。7:20くらいになってやっと出発することができました。朝一番からの山登りはきつかったです。いつものように登れず休みながら階段を登って行きました。途中で後を振り返ってみると、私の大好きな甲斐駒ケ岳が物凄くきれいに見えました。10分くらいで登り切り、あとはなだらかな道を歩いて行きました。20分くらいで山頂に到着。なんと山頂には立派な展望台がありました。かなり高い展望台で、一番上まで登ってみると甲斐駒ケ岳などの南アルプスがきれいに見え、反対側には少し雲がかかってしまった八ヶ岳も見ることができました。

遊歩道

山頂の展望台

戦国時代武川衆の拠点となり、武田勝頼の新府城の前衛として、また徳川家康にとっても北条氏直との戦いのため軍事上重要な位置にあった。この砦は中山の南北に延びる尾根状の山頂部南北70メートル、東西20メートルを利用して構築し、尾根の南と北側を掘り切り、その範囲を削平して4つの小郭を形成している。山頂部には土塁に囲まれた2つの郭が南北に並んでいる。南端にある郭は一段下がって設けられており弧状を呈している。さらに下がって弧状の郭に沿って空濠と低い土塁をめぐらしている。東側には郭の下に2段から3段の帯郭がある。この山麓の台ヶ原寄りの尾白川段丘上を根小屋といい、中山砦に対する城下の住居地で、往時は集落をなし鎮守「荒尾神社」があったが、のち人家は台ヶ原に移って、荒尾神社も大正3年台ヶ原の田中神社境内に遷座された。
寛政重修諸家譜によると、馬場美濃守信房の父「遠江守信保は武田信虎に仕え、甲斐国武川谷大賀原根小屋の城に住す」とあり、また「信保の二男信頼(隼人)の子信久根小屋に住す」「その子信成(馬場民部)武田勝頼に仕え根小屋に住す」とある。
(旧白州町誌より)

展望台から甲斐駒ケ岳

 
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