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長野県阿智村

小野川関所跡

2011年12月31日

この関所は弘治年間(1555〜58)に網掛峠から神坂峠を越えて木曽に通ずる要路を押さえるために、武田信玄が設置したものである。
(長野県の武田信玄伝説より)

ここにあった小野川の関所は、戦国時代に武田信玄が伊那谷を勢力下におさめたとき、園原を経由する神坂峠越えの通路の備えとして設置されたもので、当初は下条氏の配下であった昼神の原豊後がこれを守ったという。
武田氏滅亡後は一時飯田城主がこれを預かり、徳川氏の治下になると阿島の旗本知久氏の預かりとなって、清内路・浪合などと共に「入り鉄砲、出女」の取り締まりに当たった。
しかし神坂越えの道は江戸時代以前から通行がさびれて廃道に等しく、むしろ野熊山(恵那山)から運び出される材木の取り締まりが主目的であったといわれ、この関所を守る役人も、わずかに軽輩の足軽2人、小物1人、請負いの炊事雑用1人の計4人と記録されている。
明治2年関所は廃止されて関門・建物は入札によって取り払われ、石垣の一部が残されているほかに、50mほど離れた田中氏の墓地の横に「御関所□□」と彫りこまれた直径78cmの石臼が関所の遺物として半ば土に埋もれている。
(看板資料より)

 


関所跡の近くには、イギリスの登山家で日本アルプスを世界に紹介したウォルター・ウェストンによる南アルプス眺望絶賛の地がありました。確かにここからは南アルプスが一望できる素晴しい場所でした。

 

 
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