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長野県飯田市

龍渕寺

2015年10月12日

当山の開創は大永元(1521)5月遠山郷和田城主遠山遠江守景廣が親交のあった遠江城飼郡川村庄牛渕(現静岡県小笠郡菊川町牛渕)極楽寺二世宗誉和尚を請せしも老令の放と以って固辞し第2法子洞光和尚来りて尾の島に遠山氏の牌寺として創建す。
遠山氏落去後慶安元年1月将軍家より20石の朱印地を受け和田城址(現地)に慶安4年寺基を尾の島より現在地に移転再建した。
享保3年7月大地震による大破、再建後に文化7年正月祝融の災により諸堂尽く焼失し同12年本堂庫裡再建。天保15年山門、大正10年開山堂位牌堂再建、戦後の大修理を経て現況を見るに至った。
(看板資料より)

境内の奥には大きな杉の木の下に遠山一族の墓があった。中央の墓が遠山土佐守、加兵衛景重親子のもので、両脇には遠山長九郎、遠山茂左衛門、遠山監物らの墓がある。



2004年04月30日

当山の開創は大永元(1521)5月遠山郷和田城主遠山遠江守景廣が親交のあった遠江城飼郡川村庄牛渕(現静岡県小笠郡菊川町牛渕)極楽寺二世宗誉和尚を請せしも老令の放と以って固辞し第2法子洞光和尚来りて尾の島に遠山氏の牌寺として創建す。
遠山氏落去後慶安元年1月将軍家より20石の朱印地を受け和田城址(現地)に慶安4年寺基を尾の島より現在地に移転再建した。
享保3年7月大地震による大破、再建後に文化7年正月祝融の災により諸堂尽く焼失し同12年本堂庫裡再建。天保15年山門、大正10年開山堂位牌堂再建、戦後の大修理を経て現況を見るに至った。
(看板資料より)


境内の奥には大きな杉の木の下に遠山一族の墓があった。中央の墓が遠山土佐守、加兵衛景重親子のもので、両脇には遠山長九郎、遠山茂左衛門、遠山監物らの墓がある。


境内には、和田城本丸跡の杭もあった。

 

 
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