←前のページ トップページ↑ 次のページ→

長野県南佐久郡南牧村

さかさ柏


2015年06月28日

天然記念物「さかさ柏」
往古、甲越戦に際し甲斐の将、武田信玄はここに馬を駐め、敵状を偵察しながら手にした柏の杖を逆さに挿した。
(史実・海の口の合戦)
後に、この杖から芽を吹き今日に至ったものといわれ、幾、風雪に耐えた。その枝張りの奇態など珍重すべきものがある。
(看板資料より)

さかさ柏
武田信玄が平賀源心を攻めた時、野辺山の袖先で休んだ。その時杖について来た柏の杖を、逆さまにしたまま立ち去った。するとその杖はそのまま根が生えて、枝が下に向かって伸びた。この木は上の方には伸びないで、枝もも地を這うようになったまま大きくなった。人々はこの木を「さかさ柏」と呼んでいる。
(南牧村の伝説より)

逆さカシワ
[特 徴]
カシワが変形した樹木でブナ科の落葉の広葉高木。飯盛山の北西尾根、しし岩の北約1kmの鞍部にある。
根元からくねくね曲がり、1本真っ直ぐ伸びているが、他は地表または地中を数メートル這い、その先から上向きの枝を伸ばし特異な樹形をしている。根元の太さは周囲1.23m、高さ6m、立ち上がった枝の広がりは、西東の方向に約13m、南北11m余りでやや楕円形をしている。傾斜15°〜20°位の緩い北傾斜に生えているが、樹勢はすこぶるよい。
カシワは長野県から北は北海道まで特に多く分布している。長野県から西は急に少なくなるが、まばらに九州まで分布している。紀伊半島や四国地方は殆ど無い。生育地は、沿海地や火山の麓の日当たりの良い砂礫地で、海岸にも良く生育している。材は重硬で建築材、家具材、ビール樽等に使う。葉は柏餅を包む。
[伝 説]
武田信玄が、上杉謙信を攻めるため佐久へ攻め入った際、敵情視察のため休んだ峠の上で、杖にしていたカシワの木を逆さに挿し、忘れていったものが根付いたといわれている。この付近で、この様な形態をした木は他にはない。その原因については、風・雪・変種等いろいろ考えられるが定かではない。
(南牧村の文化財より)

 



2004年04月03日

さかさ柏は10年以上探していたのですが、今回やっと現地に訪れることができました。安中市の人に教えてもらいました。場所は清里アーリーバードゴルフクラブの中の道路沿いでした。ゴルフ場の受付嬢が詳細な場所を知っていて入り口が2ヶ所あることも教えてくれました。ゴルフ場の入口からクラブハウスに行く間の右側に上の写真のような入口の案内があります。


天然記念物「さかさ柏」
往古、甲越戦に際し甲斐の将、武田信玄はここに馬を駐め、敵状を偵察しながら手にした柏の杖を逆さに挿した。
(史実・海の口の合戦)
後に、この杖から芽を吹き今日に至ったものといわれ、幾、風雪に耐えた。その枝張りの奇態など珍重すべきものがある。
(看板資料より)

さかさ柏
武田信玄が平賀源心を攻めた時、野辺山の袖先で休んだ。その時杖について来た柏の杖を、逆さまにしたまま立ち去った。するとその杖はそのまま根が生えて、枝が下に向かって伸びた。この木は上の方には伸びないで、枝もも地を這うようになったまま大きくなった。人々はこの木を「さかさ柏」と呼んでいる。
(南牧村の伝説より)

逆さカシワ
[特 徴]
カシワが変形した樹木でブナ科の落葉の広葉高木。飯盛山の北西尾根、しし岩の北約1kmの鞍部にある。
根元からくねくね曲がり、1本真っ直ぐ伸びているが、他は地表または地中を数メートル這い、その先から上向きの枝を伸ばし特異な樹形をしている。根元の太さは周囲1.23m、高さ6m、立ち上がった枝の広がりは、西東の方向に約13m、南北11m余りでやや楕円形をしている。傾斜15°〜20°位の緩い北傾斜に生えているが、樹勢はすこぶるよい。
カシワは長野県から北は北海道まで特に多く分布している。長野県から西は急に少なくなるが、まばらに九州まで分布している。紀伊半島や四国地方は殆ど無い。生育地は、沿海地や火山の麓の日当たりの良い砂礫地で、海岸にも良く生育している。材は重硬で建築材、家具材、ビール樽等に使う。葉は柏餅を包む。
[伝 説]
武田信玄が、上杉謙信を攻めるため佐久へ攻め入った際、敵情視察のため休んだ峠の上で、杖にしていたカシワの木を逆さに挿し、忘れていったものが根付いたといわれている。この付近で、この様な形態をした木は他にはない。その原因については、風・雪・変種等いろいろ考えられるが定かではない。
(南牧村の文化財より)

 

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→