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山梨県北杜市

信玄公旗掛松碑

2013年10月13日

日野春駅の東南端にあり、信玄がここを通った時に目標の旗を掛けたからこう呼ぶようになったという。
明治36(1902)年国鉄中央線が開通したが、汽車の煤煙と震動により、「信玄公旗掛松」が大正9(1916)年に枯れ死したため裁判となり、勝訴を記念して建立された。
(山梨県の武田氏伝説より)

JR中央線日野春駅のすぐ横に「信玄公旗掛松碑」というのがあるとのことでしたので寄ってみました。JR中央線の日野春駅に向ってすぐ右側にありました。思ったよりかなり大きな石碑で「信玄公旗掛松碑」と書かれていました。この石碑は信玄公の旗掛松として有名だったわけではなく、民間人が時の政府に対して起こした損害賠償責任を問う裁判に勝訴した記念碑なのです。もちろん旗掛松は枯れてしまったので現存はしていません。駅員の話によれば、問題の松の木は現在ある石碑の近くにあったのではないかとのことでした。当時はまだ国の力が強い時代であり、そのような情勢の中、鉄道院(国)が地主に賠償を支払った最初の事件であり、また鉄道公害訴訟の初めての判例になったとのことでした。要するに鉄道事業という公共性の高い業務行為であっても不法行為に当たり損害賠償の責めを負うとされたとのことです。信玄公の影響力はすごいですね。但し、その後問題の松の木が信玄公が生きていた時代のものではないことが証明されたらしく賠償金も減額されたという話もあるようです。

 



2007年04月15日

日野春駅の東南端にあり、信玄がここを通った時に目標の旗を掛けたからこう呼ぶようになったという。
明治36(1902)年国鉄中央線が開通したが、汽車の煤煙と震動により、「信玄公旗掛松」が大正9(1916)年に枯れ死したため裁判となり、勝訴を記念して建立された。
(山梨県の武田氏伝説より)

 

 
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