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山梨県南部町

松岳院

2012年04月15日

追分山松岳院
穴山氏は武田十代目の信武の子、義武が逸見筋穴山(韮崎市)において、穴山を苗字としたことにはじまる。
当院の開基乙若丸は、穴山第3代武田兵部小輔信介の嫡男で、穴山第4代信懸(のぶとお:建忠寺殿)の兄にあたる。乙若丸が早逝したのでその冥福のために建立され、法名は松岳院殿大○仁公居士、応永33(1426)年丙午10月29日卒の位牌と五輪の石塔がある。
臨済宗京都妙心寺末であるが甲斐国志には下山南松院末とある。なお甲斐国寺記に「境内は三千四百五十坪、野蒜坂と云うところに茶園畑弐反あり、本尊は観世音菩薩、開山は日岑和尚」とあり、また「旧碑子には当院開基松岳院寿貞大姉、嘉吉元酉年(1441)5月13日とあり、何人の婦なるかを伝えず、疑ふらくは乙若の母なるべし」とあるので、この人によって建立されたものと考えられる。
当院は年代不詳であるが、その昔火災にあい、また無住職時代が長く続いていたので古記録など散逸しているのが惜しまれる。
(看板資料より)

穴山乙若丸の墓

 
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