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神奈川県愛川町

田代城


2014年01月04日

田代城は室町時代の山城で、自然の地形をそのまま要害とした武士の居館であった。築城の年月は不詳。城域は23,300平方メートルほどの広さをもち、南の方を表口としていた。
城主は小田原北條氏の幕下にあった内藤氏で、下野守秀勝とその子三郎兵衛秀行の二代が在城し、田代・半原・小曽郷(海底)・隅田(角田)・箕輪下村・坂本・五坊(北原)磯辺を領地としていた。永禄12(1569)年10月、武田信玄小田原攻めのおりに、この城は落城したと伝えられる。城址には石塁跡と守護の八幡社があり、仕置場、うまやなどの地名を残している。
(看板資料より)

田代城落城
現在、愛川中学校のある一帯は戦国時代、「田代城」という小さな城でした。三増合戦の時の城主は内藤秀行。この城にも武田軍が押し寄せ、落城しました。秀行は落ち延びましたが、世をはかなんで出家したという伝説があります。
(愛川町郷土資料館 三増合戦の伝説より)

 

 
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