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山梨県身延町

天輪寺跡

2012年04月15日

穴山信介の墓

穴山信介は武田信重の子で武田信守の弟。兵部少輔を称し、穴山氏を嗣ぐ。下山天輪寺にあった碑子によれば、父信重に先立って宝徳2(1450)年3月19日に逝去したという。法名天輪寺英中俊公禅定門。天輪寺の「寺記」は穴山信俊とも伝えている。信介の時代の甲斐は上杉禅秀の乱以降の混乱から脱しきっておらず、信介が穴山氏の養子となってこれを継承したのも、父信重が甲斐を統一するために河内で抵抗を続ける南部氏に対抗するのが目的だったのだろう。
(平山優著 穴山武田氏より)

 

 
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