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長野県長野市

戸隠神社(奥社、中社、宝光社)

2004年10月17日

■ 奥社 ■

長野県史跡 戸隠神社信仰遺跡
戸隠神社は、奥社、中社・宝光社の三社からなっている。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊地として知られていた。縁起によると学問行者が修験を始めた年代を嘉祥2(849)年頃としていて、これが戸隠寺(奥院)の起源となったという。その後200余年を経て康平元(1058)年に宝光院が、さらに寛治元(1087)年に中院が開かれたという。明治の初めの、神仏分離により、寺を廃し、奥院、中院、宝光院をそれぞれ奥社、中社、宝光社と名称を改めた。
中世には、戸隠山は、武田、上杉の争乱に巻き込まれ、甲越両軍の戦略によって絶えず危難に脅かされたので、三院の衆徒らは、一時、大日方氏の領内水内郡小川の筏が峰(現小川村)に移り、約30年の歳月をここで送った後に戸隠山に帰った。
修験の山の旧態がなおよく保存されている奥社、中社、宝光社及び筏が峰三院跡(奥院跡、中院跡、宝光院跡)が史跡指定となっている。
なお、奥社、中社付近の考古学調査は、昭和38年から昭和40年にかけての戸隠総合学術調査の一環として行われ、講堂跡をはじめ数々の遺構などが明らかにされている。
(看板資料より)

長野県天然記念物 戸隠神社奥社社叢
慶長17(1612)年に幕府より千石の朱印地を拝領した戸隠神社は、奥社を中心に坊を集め、参道には植樹して杉並木をつくり、一山の威容を整えた。随神門から約500メートルにわたって、当時に植えられた約200本程のクマスギの並木が続いている。
また周囲の森林(約51ヘクタール)を社叢として伐採を禁じたため、ウラジロモミイチイなどの針葉樹やブナを交えたミズナラ、ハルニレなどを中心とする原始林的社叢として保存されてきた。さらに、日本海型の珍しい植物や南方系の両生類なども見られる。樹林に繁殖する小鳥もクロジ、キビタキをはじめ約80種を数え、日本有数の小鳥の繁殖地となっている。
(看板資料より)

随神門


奥社参道杉並木

慶長17(1612)年戸隠山顕光寺(現神社)は千石の朱印地を拝領した。以降、顕光寺を中心として大門通りをつくり、坊はその道側に集め、参道や境内には植樹し杉並木をつくり一山の威容を整えた。現在の杉並木はその時代に植樹され約400年である。
(看板資料より)

奥社院坊跡
奥社随神門(旧仁王門)の内側道側左右にある嘉祥3(850)年以来戸隠権現に奉仕した院坊の跡である。明治維新後神社となり国有林内地になった為にここにあった院坊は中社、宝光社に住居を移した。
(看板資料より)


大講堂屋敷跡

戸隠山は修験道の道場として鎌倉、室町時代は殷賑を極めました。この大講堂は堀河天皇の承徳2(1098)年に建立されました。間口24.3m、奥行き13.5m、礎石60個。
(看板資料より)


戸隠神社九頭竜社

御祭神 九頭竜大神
御由緒並びに御神徳
地主の神で御鎮座年代古く天岩戸戸隠山の守神にして神代の岩戸隠れの変に御功績を立てました御祭神天手力男命を当山にお迎えした大神で水分神、水口神、五穀の神、開運守護魔除の神、虫歯の神として御霊験あらたかに国民の多幸弥栄の上に高大なる御神徳を恵み給う大神様です。
(看板資料より)


戸隠神社・奥社(御本社)

御祭神 天手力雄命(あまのたちからおのみこと)
御由緒
御鎮座年代古く人皇第8代孝元天皇の5年(皇紀207)と云われ、神話に名高い天照皇大神が御弟神須佐之男命の、度重なる非行に天岩屋戸にお隠れになった時、天岩戸をお開きになった、神力無双の神で、開運守護、五穀豊熟、家内安全、諸災消除の神として、国民の弥栄の上に高大な御神徳を恵み給う大神です。
(看板資料より)

奥社からの戸隠山

野尻湖から戸隠方面に向いました。奥社の参道付近は駐車場に止めようとする車がたくさんいて混雑していました。奥社の駐車場、その手前の竹細工の駐車場、更に手前のチェーン脱着所も満車で止めることができず、更に北側にある駐車場らしきところに車を止めてそこから歩きました。参道の入口には鳥居があってその手前に休憩所もありそばが食べられるようでしたがここも混雑していました。鳥居から先には紅葉で色づいていてきれいでした。私は杖を持って歩き始めましたが最初はほぼ平らな道でしたので意気が切れることはなくいい運動になりました。随神門から先は参道に沿って立派な杉並木が立ち並んでしました。徐々に登りがきつくなり奥社に向う最後の登り坂は少しきつかったです。奥社には木造の古そうな九頭竜社と、その横にコンクリート造りの奥社があってその先には戸隠山を見上げることができ、付近にいた人に聞いてあれが戸隠山であることを確認しました。戸隠山への登山口もあり案内板がありました。武田信玄が祈願したのですから、私は日頃あまりお参りをする人ではないのですが今回は、奥社、中社、宝光社でそれぞれお参りしました。

 


■ 中社 ■

戸隠神社 中社
御祭神 天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
御鎮座年代古く人皇第73代堀河天皇の寛治元(1087)年に奥社より分祀し奉斎す。神話に名高い天照大神が御弟神須佐之男命の度重なる非行に天岩戸にお隠れになった時岩戸神楽(現在の太々神楽)を創案し万民をして生業に安んぜしめたという知恵の深い神で学業成熟、家内安全、営業隆昌開運守護の外諸々の災難をはらう神として国民の弥栄の上に高大なる御神徳を恵み給う大神様です。
(看板資料より)

戸隠神社中社拝殿天井絵
幕末から明治初期にかけて活躍し、葛飾北斎と並び称される狩野派絵師河鍋狂斎は、慶応元(1865)年戸隠山顕光寺(戸隠神社)に招聘されて中院に逗留し、深夜奥院に登拝すること21日、神託を得、三合入りの大盃に神酒三杯を重ね、戸隠山、中院拝殿天井に二間四方(八畳)の「龍」の墨絵を一気に描き奉納しました。
昭和17年不慮の火災により焼失しましたが、爾来60年平成15年春に執行された式年大祭を記念して、昭和初期の一枚の絵葉書を元に最新のデジタル技術により往時と変わらぬ天井絵が再現されました。
(看板資料より)

奥社とともに大勢の人が訪れて賑わっていました。駐車場が見当たらないので中社の正面にある戸隠観光会館に車を止めて中社を参拝しました。中社の近くにあった巫女さんがいてお札などが売っているところで、武田信玄の願文について聞きましたが、あまり詳しくないようで情報を得ることはできませんでした。ただ願文が奉納されたのはこの中社だったのだそうです。

 


■宝光社■

宝光社は一番標高が低いところにあります。奥社や中社と比べると全くと言っていいほど参拝者がおらずひっそりとしていました。奥社は比較的なだらかな参道を歩き、中社は容易に参拝可能でしたがこの宝光社は上の写真の鳥居の所から長い階段を登らなくてはなりませんでした。頂上には下の写真のような建物がありましたが、離れてカメラを構えることができなかったので全景を写すことができませんでした。詳しいことは分かりませんが中社の建物と同じように見えました。ここでもお札などを売っているところのおじさんに武田信玄の願文について聞いてみましたが情報を得ることはできませんでした。

 
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