津金寺 |
2010年01月31日 |
武田氏が佐久に侵入するに及んで、元亀3(1572)年、寺は信玄の「定」によって四宗兼学の道場から天台の法流に復帰してその庇護を受けた。しかし武田氏の勢力が衰えるに及んで、近郷の豪族が寺地を侵し、兵火にもあって数十年間衰微を極めた。(『信州の仏教寺院』第1巻118頁) |
津金寺仁王門
この仁王門は、芽葺単層切妻造り八脚門(三間一戸楼門)の素朴な造りであり、文化10(1813)年に再建されたもので、立川流の宮大工、上原市蔵(上諏訪)、田中円蔵(当町茂田井)両人の作である。 |
阿弥陀堂
阿弥陀三尊像を祀る。 |
津金寺観音堂
観音堂は、正面・側面に円柱が4本立つ方三間堂という形式で、屋根は入母屋造り、銅板葺き(もとは茅葺き)です。 |
津金寺妙見堂
鞘堂の中にある本殿は、側面から見ると屋根が「へ」の字の形をしています。この形式を流れ造りといい、本殿では最も多い形式です。この正面に湾曲した軒唐破風(のきからはふ)という屋根を付けたり、建物の至る所に彫刻が施されており、江戸後期の特色がよく表われています。 |
津金寺宝塔
遊歩道を60mほど登った中腹に建つ宝塔三基は、奈良時代から東信濃に繁栄し、この地方の政治経済面で重要な地位を占めていた滋野氏の供養塔である。
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