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山梨県甲府市

湯村山城

2009年12月29日

山頂付近

@湯の島の上にある城は信守、信昌二代のうちに築いたという。山の上に水がある。
A湯の島村の武田物見城という所に鎮守の金比羅神があるが、昔から玄法院(甲府市天神町)の持ち宮である。
(山梨県の武田氏伝説より)

湯村の東山の上に一所石塁や泉があり、城山という。これより南面には山がなく、五里(約20km)あまりで八代郡市川の蛾岳の雲火峰が正面となる。
(山梨県の武田氏伝説より)

遊歩道


烽火台

烽火台について
けむり(烽火)による情報伝達方法は、古代中国にその原点があります。戦国武田家は、甲府の館を中心に烽火台ルートを主要道路沿いに整備したといわれています。烽火の挙げ方については具体的な記録がないために明らかではありませんが、朝鮮半島や九州地方には、けむりの本数によって情報を伝える煙突式の烽火台が残されています。山梨県の烽火台にはそのような明確な遺構が残っていないため、江戸時代の百科事典である『和漢三才図絵』に図示されている「跳ねつるべ」方式を参考にして復元したものです。この「跳ねつるべ」の先の篭に入れた薪(けむりや炎)を高い位置まで上げたり下げたりすることで、情報を伝達していたと考えられます。
(看板資料より)


金毘羅社

湯村山城井戸

スポーツ公園の駐車場に車を止めて歩いて行きました。周辺は遊歩道が整備されていて舗装されているので歩きやすかったです。傾斜もかなり緩やかでした。お年よりや犬の散歩をしている人とすれ違いました。途中、大きな岩がゴツゴツとしていたのが印象的でした。尾根に出ると復元された狼煙台がありました。右に行くと遊歩道が続き、湯村山の城跡は左側とのことで左の方へ進みました。更に道が2本に分かれていたので右側から登って行きました。頂上付近はそんなに規模が大きな感じではありませんでしたが周辺は大きな帯曲輪の遺構が残されていました。また一番奥には金毘羅社の祠があり、その近くには井戸跡もありました。こんな高所で水が出るなんて凄いですね。

 

 
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