人間には理屈では説明のつかないクセというか、反射的な習性の様なものがありますよね。
例えば目の前に何かが横切れば目をつぶったりするし、ヒザの辺りをコンと叩けばピョンって足が反応するし、前からヤクザや警察官が歩いてきたらビクッっとするし、金正日と聞けばミサイルぶちこんでやろうと思うしetc…。
とまぁつまりそれらは全て人間の本能に起因している事だと思うんですよ。
この間、家へ帰るのにタクシーを使ったんです。電車も余裕で走っている時間帯だったのですが、クールな俺にとってはたまにVIPな気分で帰りたくなる日もあるんです。
俺はいつもの様に車道に対して斜に構えながら空車タクシーを見つけるとすかさず、そして無駄なく右手を差し上げます。○×交通というタクシー会社の車両がノッキングをしながら俺に横付けする格好で止まりました。<説明しよう。ノッキングとは専門的にマニュアルシフトの自動車がクラッチ繋ぎに失敗した際に車体が上下にグワングワン揺れる事を言う。しかし一般的には下手な運転手が操作するブレーキングについても使われる事があるのだ> プロの運転手がノッキング? 俺は何か嫌な予感がしたのだけど、それだけの理由で乗車拒否権を発動するほど子供ではないので、素直にタクシーに乗り込んだんです。しかし
「はひぃ。いらっしゃいあせー」
と言う妙な言葉で挨拶をしながら帽子を取って、俺に向かって敬礼するタクシーの運ちゃんを見た時、ちょっとヤバイのに乗っちゃったかなぁ・・、と早くも俺は後悔の念を抱かざるを得ませんでした。何か動きがカクカクしてるし・・。
しかし乗って直ぐに「チェンジ!」と言うのはさすがに失礼だと思い、俺は目的地を運ちゃんに告げたんです。
「○▲駅。バスロータリーのある方で」
と。するとその運ちゃんは
「あひぃ。○▲駅ロータリーえすね。」
と言うなりカーナビを操作し始めたんですよ。
あのぉ、目的地って日比谷通りと第一京浜国道という大きい通りを取り敢えず真っ直ぐ進むだけで着くんですよ。だのにカーナビ使うって・・・。こりゃ新人ドライバーかな、と俺は思ったんです。年齢的には50代前半くらいだと思うのですが、この手の業界はある程度歳を重ねた新人さんも居るので・・・。
しかし、その運ちゃんはなかなかカーナビの操作をやめようとしないんですよ。「あえ?あえ?」とか言って。もう完全に使い方分からなくなっているんですよ。アタフタしてるし。ピーーーとか変な音が鳴り出したりして。たまりかねた俺は
「ああ、俺が案内するからカーナビ使わなくて良いですよ」
と言ったんです。その俺の言葉に運ちゃんはホッとした様で
「あ、あ、そうえすか。あいがとうございあす」
とまた敬礼するんです。何かツッコミを欲しがってるのかなぁ、この運ちゃん。と思いながらも俺は
「この道ずっと進むと第一京浜国道に合流するからそれを真っ直ぐ南下して下さい」
と簡単な案内をしたんです。すると運ちゃんは
「だ、だいいちけいひん?真っ直ぐ?・・・。あひ。分かいました。では出発しあす」
とどう見ても自信無さそげな反応を示しながら車をスタートさせたんです。大丈夫かなぁ・・。
いつもタクシーに乗ると、大抵俺は運ちゃんとのコミュニケーションを図る為に色々話をするんです。だモンでこの時も俺は軽いジャブからかまして行こうとしました。しかし
「運転手さんはぁ・・」
と俺が話を始めようとした瞬間にその運ちゃんはブレーキをギュッと踏んで
「はいぃ?」
と言ってオーバーリアクションで俺の方を振り返るんですよ。勿論車のスピードはだいぶ出ている訳ですから止まる事は無いのですけど、言ってみれば意味の無い減速ですよね。そして完全な脇見運転。危ないなぁ・・、と思いながらも俺は取り敢えず会話を進めたんです。
「こっちの方はあんまり詳しくないんですか?」
と聞くと、運ちゃんは頭の汗をハンカチで拭きながら
「あ、はぃい。生まれは沖縄なんです。まだこっち来て1年経ってまえん」
と答えました。俺は直接沖縄の人と話をするのが初めてだったので
「へええ、そうなんですかぁ。じゃあ東京の道は混んでいるし分かり難いし大変でしょう」
ととても興味深げに話したんです。
「えあ。恥ずかしながらなかなか難しいえす」
と運ちゃんは照れ笑いを浮かべながら答えました。
しかし、会話が途切れたと思うと何故か運ちゃんはアクセルを踏み込みビューンと車を加速し始めるんです。道に慣れてない割に荒い運転するなぁ、と思いながらも俺はもっと沖縄の話を聞きたかったので
「あのぉ運転手さん」
と声をかけたんですが、その瞬間また運ちゃんはブレーキを踏んでこちらを振り返るんですよ。
「はぃい?」
と笑顔満面に。目の前を走っている車も居るのにこれは危ないと思って俺は
「いやこっち見なくても良いですよ。危ないですよ」
と言ったんです。すると運ちゃんは
「あ、はぃい。すいあせん・・」
と申し訳なさそうに謝りました。そしてまた会話が無くなると運ちゃんはアクセルをグンと踏んで車を加速させるんです。何だろうなぁ、この運ちゃんは・・。不思議な人だなぁやっぱり。と思いながら俺は携帯電話のメール確認をしたりしていたんです。
しかし暫くすると運ちゃんは「うぁ・・あぁ・・うぅ・・」とか何か悩んだ様なうなり声を上げ始めたんです。そして間も無く急ブレーキをかけて車を道路端に寄せて止めてしまったんです。
「どうしたんですか?気分でも悪いんですか?」
ちょっと焦った俺は運ちゃんに聞いたんです。すると運ちゃんは帽子を取って顔を手で掻きながら
「あ、あぉ・・。すいあせん。あぉ、メーター入れるの忘れてあした」
とか言うんですよ。ええ?マジでぇ?もう半分近く走ってんのにぃー?
さすがに俺もちょっと言葉を失ってしまいましてね。したら運ちゃんが
「あぉ、ここから料金スタートという事でよおしいでしょうかぁ」
と申し訳無さそうに言うんですよ。いやこっちとしてはその分割引してくれる様なモンだから、謝られるどころか有難いくらいですよね。
「いや、俺は全然それでも良いんですけど大丈夫なんですか?」
と俺は逆に心配になって聞いたんですよ。すると運ちゃんは
「えぇ、大丈夫ぇす。もう何回もやっていうんですよ。あは、あははは」
とかのたまっているんです。待てオイ・・。そんな何回もやってんのかよ。凄い運ちゃんだな・・。笑ってるよ。やっぱ沖縄の人だから大らかなのかなぁ。なんてある意味感心していると、そんな俺をよそに運ちゃんは
「では。改めて出発しあす!」
と気合を入れてまた敬礼するんですね。いやもうそれいいから。っつーかいちいちこっち見てやらないでいーから。と心でツッコミを入れながら俺は笑顔で返したんです。
そして目的地が近くなって来たので細かく指示を出そうと思い、俺は身を乗り出して
「運転手さん」
と呼んだんです。するとまた運ちゃんはブレーキをグッと踏みながらこちらを振り返り
「はいぃ?何えしょう」
と言うんです。だから脇見運転するなっつーの・・・。身を乗り出しているところに急にブレーキをかけられたモンだから、俺は前のシートに顔を少しぶつけてしまったんですよ。もう勘弁してくれよ、何だよそれぇ、と思い俺は少し恨めしそうに運ちゃんを見たんです。でも運ちゃんは笑顔全開なんですよ。こういうタイプの人って何言ってもダメなんですよね。仕方なく俺はそのまま案内を続けたんです。
そして目的地に着いたところで
「ああ、運転手さん・・」
と最後の最後で俺はまたスイッチを押してしまったのです。しまった、と思ったのですが後悔先に立たず。案の定運ちゃんはブレーキをグーーッと踏んでこちらを振り返り
「あい。何えしょう!」
と笑顔。もう何も言う気が起こらず俺は
「あ、ここで良いです・・」
と答えるのに精一杯。と言うか車酔いしてるんですけど俺。
「あい。1,560円にないあす。毎度どうも」
安いな・・。まぁ、迷惑料分もらったと思う事にするか。
彼にとっては「運転手さん」というキーワードが耳に入ると、ブレーキを踏み振り向いてしまうひとつの習性だった訳ですね。
しかしまぁ今回は極端な例ではあったけど、自分自身も気付かないうちに何かの信号が発せられて、無意識におかしな動きをする習性があるのではないか、とふと不安になりましたよ。


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