競走馬にはそれぞれ特徴があって、レース中に5,6番手の好位置につけながらゴール手前になって他馬を抜き去るレースをする者や、集団の後ろの方に位置して最後の直線に入ったら猛烈なスパートをかけて他馬をチギる者、そしてスタートした瞬間から先頭に立って、そのままゴールまで逃げ切る者が居ます。

サイレンススズカは逃げるお馬さんでした。
お父さんはサンデーサイレンスと言う、種牡馬としては超有名なお馬さんです。
参考までに彼の子で活躍したサイレンススズカ以外の競争馬を挙げると、あのディープインパクトやスペシャルウィーク、ハーツクライ、アグネスタキオン、アドマイヤベガ等、競馬をそんなに知らない人でも一度は聞いた事のあるお馬さんの面々がズラリと並んでいます。(これでもごく一部です。好きな人にとってはもっと有名なお馬さんがたくさん居ます)。
サイレンススズカが生まれた頃は、まだ彼のお兄さんやお姉さん達が本格的なレースに出走する年齢に達していなかったので、種牡馬としてのサンデーサイレンスの評価も未知数の時期でした。
子供の頃から人懐っこくて寂しがり屋だったと言われるサイレンススズカは、黒い馬体のお父さんとは違って、お母さん似の綺麗な栗毛色のお馬さんでした。
俺がサイレンススズカを初めて知ったのは、先に話した牝馬エアグルーヴがGTレースの天皇賞を制した1997年の秋でした。
スタート直後、サイレンススズカは信じられない様なスピードで他馬を引き離し、最高で10馬身もの差をつけて逃げていたので嫌でも目につきました。
レース自体は6位の着順に終わり負けはしたのですが、俺はその一見ペースを無視した彼の走りに何か潔さの様なものを感じて、以降注目する様になったのです。
逃げ馬の競馬は、スタートと同時にトップに立ち後続を数馬身引き離し、ゴール前で追走してくる追い込みの馬達を何とかかわして1着になる、と言うのが通常です。
つまり、言ってしまえばゴール手前数百メートルは殆ど脚を使い切ってしまっているので、応援している側としては追い込み馬にいつ追い付かれるかヒヤヒヤしてしまうのが常なのです。
しかしこのサイレンススズカは、まずスタートダッシュの速度が半端ではなく、他馬とは次元の違う走りを見せます。
普通それだけ飛ばせば後半バテるのが当たり前なのですが、サイレンススズカの脚はゴール前になっても衰える事無く、追ってくる馬との差が縮まるどころか更に差を広げてブッチギリでゴールをすると言うレースが多かったのです。
ジョッキーの武豊に言わせると、サイレンススズカは
「逃げて尚差せる馬。最強の馬」
と言う事らしいです。
なかなか落ち着きが無い競走馬との評判だったサイレンススズカも、調教師の話によれば寂しがり屋だからこそ。
そんな素性を知ってしまうと、俺は余計にこのサイレンススズカが可愛らしく思えてきてしまいます。
4歳になったサイレンススズカは、出るレース全てをチギりまくり、それこそ別の性能のエンジンを持つお馬さんの様に圧倒的な勝ち方を連発します。
素人の俺なんかからすると、その勝ちっぷりは圧巻でした。確か二つのレースでコースレコードを出していたと思います。
そして俺は1998年の秋、彼の最大の目標である秋の天皇賞制覇を見届ける為に、初めて府中競馬場に赴きました。
サイレンススズカの単勝オッズは何と1.2倍の一番人気。
もうこのレースは彼の為にあると言っても良かったと思います。
ゲートが開いていつもの様に飛びぬけたスピードで逃げ始めるサイレンススズカ。
第3コーナーに達する頃には後続を7,8馬身引き離していました。
いつもの彼の競馬です。このままゴール手前になっても二の足を使って2着の馬には影も踏ませないでゴールをするのだろうと思っていました。
ところが、第4コーナーの手前でサイレンススズカは突然スピードダウンしてしまったのです。
明らかに歩き方が変でした。
故障発生。
場内スタンドは異様などよめきが巻き起こっていました。
1着でオフサイドトラップと言う馬がゴール板を駆け抜ける時も、一切歓声は上がらず、騒然とした雰囲気のままほとんどの観客が止まってしまったサイレンススズカの居る第4コーナーを見ていました。
サラブレッドに詳しくない俺は、今回は残念だったけど今度また彼が走るレースを楽しみにしていよう、と悠長に思っていました。
だから、時折り聞こえる観客の泣き声とも思える悲鳴にも余り耳を貸さないでいました。
サイレンススズカの診断は、左前足ヒザ部の粉砕骨折。
通常立っている事も出来ない重度の骨折で、ジョッキーの武豊を振り落とさなかったのは奇跡と言っても良いくらいだったそうです。
お馬さんは大きな骨折をしてしまうと立っている事が出来ません。
しかしずっと寝転がっていると体の皮膚が床ずれで炎症を起こしてしまいます。
俺は家に帰ってニュースを見て、初めてその時にサイレンススズカが安楽死処分を受けた事を知りました。
その時のショックは今でも忘れる事が出来ません。
応援していた大好きなサラブレッドが目の前で怪我をして、そしてもう二度と見る事が出来なくなってしまったのですから。
俺はそれから数年間、競馬場に行く事はおろか、怖くてテレビでも競馬を見る事が出来なくなってしまいました。
後のインタビューで武豊が
「あの時サイレンススズカは、痛いのをこらえて僕を振り落とさずに守ってくれたのだと思います」
と言うコメントを聞いた時には涙が止まりませんでした。
人懐っこくて寂しがり屋で、、、でも強い馬。
俺はこのサイレンススズカが今でも最も好きなサラブレッドです。

前のページへ