| 川中島合戦と雨宮渡雨宮渡は、往時北国街道の要衝にあって、千曲川渡船場として川中島平の死命を制するほどの重要な拠点でもあり、戦術戦況を左右する場でもあった。
 史上名高い川中島の戦いは、天文22(1553)年から永禄7(1564)年までの間に、戦いは5回あった。その最大の激戦が永禄4(1561)年の9月9日夜半、上杉謙信は敵武田信玄の策略を事前に察知し、人馬ともに声なく鞭声粛々とこの雨宮渡を渡り川中島平に兵を展開し、主力同士の戦いが両雄一騎打ちで知られる第4回の八幡原の戦いである。
 今は当時の要衝雨宮渡も時変り星移るにつれて、千曲川の流れも北に移り、昔時をしのぶよすがもない。これを地元先覚者は惜しみ、謙信奇襲の川中島合戦を詠んだ頼山陽の直筆を得てここに碑を建立し、渡河地点を保存す。
 鞭聲肅肅夜河を過る、曉に見る千兵の大牙を擁するを。
 遺恨なり十年一劍を磨き、
 流星光底に長蛇を逸す。
 (看板資料より)   |