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山梨県甲府市

八幡神社

2004年08月14日

この神社は、石和五郎信光が鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を石和の館に勧請して、国衛八幡宮と称したのが始まりといわれています。永正16(1519)年に武田信虎が躑躅ヶ崎に館を築く際に、館の西側に移され府中八幡と称されました。この場所は現在の相川小学校の南西部にあたり、旧敷地の一部は同校の体育館敷地となっています。武田氏滅亡後、甲府築城の際に祈願所ならびに御城鎮守の氏神として現在地へ移され、甲斐惣社八幡宮と呼ばれ、江戸時代を通じて、特別な扱いがされていました。
(看板資料より)

夢見山伝説
むかし、武田信虎が現在の夢見山に登ったときの事、急に眠くなり石を枕に寝入ってしまいました。すると、夢に1人の男が現われ「今、甲斐国主として誕生した男児は、曽我五郎の生まれかわりである」と告げました。間もなく城から若君(後の信玄)誕生の知らせがあり、喜んだ信虎は勝千代と名づけました。ところが勝千代の右手は握ったまま開きません。心配した信虎が天桂和尚に相談すると和尚も同じ夢を見ていて、男は「その子の右手には金龍の目貫一片がある。城東の池で洗えば右手は開く」とつげ、もう一片の目貫を和尚に渡して消えました。信虎が言われたとおりにすると勝千代の右手は開き、中から目貫が出てきて和尚のものと符合しました。このことからこの山は夢山、または夢見山と名づけられたということです。
(看板資料より)

 

 
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