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静岡県藤枝市

花倉城

2001年10月08日

花倉城は今川氏3代目範国が足利将軍尊氏の命を受けて駿遠へ進出し、その子範氏が文和2年(1353)花倉に居館を構え背後の山上に詰城を築いたものと伝えられています。
その後、氏家、泰範、範政と3代約60年間今川氏の本拠地として栄え、範政が駿府へ本拠地を移した応永18年(1411)後も一族を花倉遍照光寺の住職とし堅塁花倉城を駿府の西の守りとしていた。
300m山上の本曲輪は現在雑木が密生しているところで、これを切払えば昔と同じ見晴らしの良い適地が現れるでしょう。本曲輪と二の曲輪の間及び西南80m程の所に大きな空掘も残っています。
山麓勝谷に範氏の建てた遍照光寺(現在の遍照寺)、東側の半谷に泰範の建てた長慶寺があり、ここには範氏、氏家、泰範の墓が並んでいます。
今川氏館があったところは、遍照寺前の平地と伝えられています。
(看板資料より)


花倉城は、烏帽子形山の支峰である城山の頂上部に築かれた室町時代初期の山城である。この山城は14世紀後半、今川範氏が駿河支配のため葉梨荘内に入り居館の詰城として築城したものとされる。16世紀後半には今川義元と兄である花倉遍照光寺住持良真との間で起きた家督争い(花倉の乱)の舞台ともなった。
(藤枝市教育委員会)


本丸

二の丸からの景色

車を止めた場所

花倉城の場所もかなり分かりづらく、途中行き過ぎてしまっておばちゃんに聞いて逆戻りして茶畑の中を走り、気付いてみたら右の写真のような狭い道で行き止まりになってしまいました。車はここで乗り捨てて歩き始めたのですが雨が降り始めるしどこまで行っても城への入口にさえ着きませんでした。30分以上歩いてやっと入口にたどり着き、そこからはいつものような山登りでした。
帰りは崖から落ちないように慎之介殿に見てもらいながら何度も切り返してやっとのことで切り返しに成功。その後違う道を選んだのですが狭い私道でした。大小屋以来の緊張した運転でしたがなんとか脱出することができました。

 

 
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