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静岡県三島市

祐泉寺

2014年12月07日

戦国時代西暦1567年早雲寺第8世梅隠宗香禅師を開山とし、小田原北条氏初祖早雲の三男幻庵の嫡男新三郎が建立する。新三郎は蒲原城主として駿河進攻を目指す武田信玄に対する中心武将として対峙していたが、1569年蒲原城合戦にて戦死。墓所は墓地奥西側にある。猶、新三郎に代わって幻庵の娘婿となった氏康の子は、上杉家との同盟にて謙信の幼名「景虎」を与えられ人質ではなく養子となる。8年後謙信の突然の死より景勝との後継者争いに敗れ戦死する。
この寺は奈良時代前の白鳳期に建立された大興寺(市ヶ原廃寺)の旧伽藍跡地にあり、境内中央にある石は三島大社参道の旧下田街道沿いにあった西塔の塔心礎である。大興寺の基礎は南の法華寺から北の三島大社前の東海道まであり、その形式は奈良の薬師寺伽藍配置となっており、いかに大きな寺院であったか想像できよう。
(看板資料より)


北条新三郎の墓所

北条早雲の第三子幻庵の後継者で駿河進攻を目指す武田信玄に対峙するための中心武将として蒲原城主となる。父の幻庵は豊臣秀吉の小田原征伐前に97歳で没したが、北条歴代・当主に次ぐ実力と所領を持ち、特に伊豆中央に広大な領地を有し、新三郎の後ろ楯となって支援した。西暦1569年蒲原城合戦にて、弟箱根少将長順とともに戦死・祐泉寺に埋葬された。墓左側にあるやや小さな墓は弟長順と伝え聞いている。墓は戦国時代の特徴である五重の塔の型をなしており江戸時代以降に見られる直方体の型とは明らかに異なるものである。
蒲原城合戦にて駿河を領有した武田家は三年後京都西上の進攻の中、日本統一の流れを早めることになる。
(看板資料より)

 


蒲原城

 

 
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