長野県伊那市
天正10年3月2日、織田信忠は五万余の大軍を持って高遠城を攻めた。仁科五郎盛信は僅か2〜3千の兵をもってこれを迎え討った。激しい戦闘の後に落城し盛信は自害した。盛信や武将の遺骸は勝間の若宮原で火葬にされ、村人によって裏山に葬られた。 この山を総称して五郎山と呼ぶが、五郎山の峰に城将盛信を祀り、続いて四郎山に副将小山田備中、三郎山に渡辺金太夫、二郎山に諏訪はな、そして一郎山に多くの諸士と、東の尾根伝いに祀っている。 (看板資料より)
→五郎山(仁科五郎盛信祠) →四郎山(小山田備中祠) →三郎山(渡辺金太夫祠) →二郎山(諏訪はな祠) →高遠城