| 慈雲寺 |
2008年12月30日 |

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慈雲寺は諏訪大社下社春宮のすぐ近くにありました。参道には大きな木が立ち並んでいて立派でした。参道左側には灯篭や日根野高吉供養塔などがありました。日根野高吉供養塔は大きなものでまるで高野山奥の院のお墓のようでした。山門には赤い武田菱の家紋が入っている堤燈がありました。本堂右側には立派な松の木があり、左側には素晴らしい石庭がありました。 白華山慈雲寺は正安2(1300)年、一山禅師の開山で信州触頭として重きをなした名刹である。梵鐘は応安元(1368)年諏訪下宮大祝金刺豊久によって造られ形、音銘ともにすぐれている。 この寺は天文6(1537)年正月23日に焼失したが、天桂玄長は武田信玄の叔父だったので、武田家に乞うて伽藍を再建した。そこで武田氏を中興開祖としている。 |
海印寺高麗形創作灯篭

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灯篭は神・仏に火をささげるという意味で本堂・塔など前正面に一基のみが古い形です。韓国で最も古寺である海印寺は、八万大蔵経の保存で有名である。その願堂庵を四角形大面取に創作したものである。日本で最も古い春日大社にある灯篭の一つ「柚ノ木形」の源流と思われるものである。 |
日根野高吉供養塔

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日根野高吉は豊臣秀吉の部将で天正18年諏訪の領主になり高島城を築いた築城の名手である。慶長5年6月26日高島城に病んで没し、慈雲寺に葬られた。 |
慈雲寺本堂

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慈雲寺は創建以来3回大火に遭っているが、文化3(1806)年の火災後の文化5(1808)年本堂、玄関、庫裏を再建した。棟梁は上諏訪湯の脇の上原市蔵正房で、初代立川和四郎富棟の直弟子として下社秋宮幣拝殿をはじめ富棟の造営した多くの寺社建築に加わっている。本堂は入母屋造りで周囲に板縁を回し、内陣には臨済宗特色の通し須弥壇が付けられ、室中と両脇間との境の中間には柱を立てず、内陣の欄間には梶の葉と武田菱の彫刻が付けられている。規模の大きさと全体に木太い建築である点が特色で、外観は質素であるが、内陣の彫刻に大工の特徴が現れ、江戸時代後期の臨済宗本堂の特色を示した建築である。 |
庭園
