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東京都瑞穂町

加藤塚


2009年12月29日

 町史跡 加藤塚
武田氏の滅亡後、その家臣であった加藤丹後守景忠は妻子および数名の家来をつれて当地まで逃れて来た。北条氏の配下で当地を守っていた村山土佐守のひきいる兵と戦い討死した。天正10(1582)年4月11日のことである。
村民はその死をあわれみ、直径11m、1.5mの塚を築き葬った。二基の五輪塔はその当時のものと思われる。
寛政年間(1790年代)に至り、加藤氏の後裔といわれる上野原の加藤最次郎が石塔を建てたり、円福寺に現存する馬上後守像等を納めたのをきっかけに、村民の間にも信仰の念が深まり、加藤八幡宮が建立された。
境内は塚の上に周囲約8mの大欅があったのをはじめ、杉・桜・くぬぎ等の大木が茂っていたが、戦後航空障害・国道の開通のため伐採されて昔の姿を偲ぶことができない。
 昭和48年3月31日 建設
 瑞穂町教育委員会
(看板資料より)

近所の交差点の名称が加藤塚というとのことでカーナビで目的地に向うのは簡単でした。箱根ヶ崎という駅の近くとのことでした。場所はすぐに分かりました。加藤神社という神社があってその中に加藤塚がありました。思ったより立派な史跡で案内板もあって感動しました。

 
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