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長野県小県郡長和町

不聞道祖神

2011年12月30日

不聞道祖神
昔、中仙道長久保の南入口に小さな祠に祀られた道祖神があり、その道祖神は魔物や病が村に入り込まないよう入口で押さえ込み追い払ったというありがたい神様だと信じられ以前は川端の崖の上に祀られ県道端には鳥居もあったそうです。
ある時、村人が耳の病の平癒祈願をしたところ願いがかなったのでお礼にお椀を献上したという事が評判になり村内、近村(大門、和田、古町)からもお詣りに来る人が増え大切に祀られていたということです。耳の不自由な人が聞こえるようになったというので反対の言葉からその道祖神は「不聞どうろく神」と呼ばれるようになり耳の病気がある人がお詣りをしたので耳の神様として有名になりました。
反対の言葉が使われるようになったのは戦国時代の名将武田信玄が敵をあざむくために使用していた言葉が由来とされ今に伝えられています。
(看板資料より)


長門昔ばなし
むかし中仙道の長久保の町はずれに道祖神様がありました。それは「どうろく神様」と呼ばれ、人々は色々な願い事をしていました。おじいさんは遠く離れた道祖神様に雪の降る日も冷たい風の吹く日も「どうぞ孫の耳を治して下さい」とお詣りを続けました。百日も続けたある日孫とお詣りをすませ家に帰ろうとしたとき南の空が曇り出しピカピカとするどい光とゴロゴロと耳をつんざくようなものすごい雷の音が鳴り響きました。あまりの恐ろしさにおじいさんも孫もその場に倒れ込んでしまいました。それからどれくらいたったことでしょうか夕立がやんでさわやかな夏の風が倒れているおじいさんの顔に当たりました。おじいさんがやっと起き上がると崖の下を流れる依田川には七色の虹がかかっていました。おじいさんははっとしてそばに倒れている孫をだき起こしました。孫は「でっけぇ雷の音おっかねぇ」といっておじいいさんのひざにすがりつきました。おじいいさんはとびあがって喜びました。孫の耳が聞こえるようになったのです。なんとかお礼をしたい。でも家は貧しくてお金がない。色々考えた末、家で一番大事にしていた宝物のお椀をお礼することにしました。おじいいさんは宝物のお椀が人の耳のように思えてなりません。聞こえるようになったのは耳に穴があいたのだと思い、お椀の底に穴をあけひもを通してさしあげることにしました。「どうろくじん様本当にありがとうごわした」そういってお椀を供えお礼のお詣りをしました。
(看板資料より)

 


この場所を探すのにまずは長和町役場に行きました。日直の人に聞くのが一番と思ったのです。日直の人は親身に対応してくれましたが、旧和田町役場の人だそうで結局分かりませんでした。手がかりは長久保宿の南口ということだけでした。ちょうどその付近にドライブイン「中仙道」というお店があったのでそこで話を聞いてみることにしました。すると不聞道祖神はちょうどそこにあったのです。
お店にはお客さんもいなくて、ちょうど店主の話を聞くことができました。店主が小さい頃、この不聞道祖神にお椀を持ってお参りに来ている人がいたとのことでした。

 

 
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