群馬県大泉町
小泉城(冨岡城) 小泉城は、延徳元(1489)年、冨岡主税介直光が縄張りをしたことに始まり、以降冨岡氏6代、約100年余の居城として栄え、威容を整えたものである。現在の城跡は、小田原北条氏の傘下に入ってから改築されたものと考えられている。城の形態は平城で、本丸、二の丸、三の丸からなり、中心部は回字型をもつ囲郭式平城の典型で、県内でも有数の城跡である。本丸の水堀と土塁、三の丸の一部の水堀と土塁がかなり良好な形をとどめている。本丸北東隅の「櫓台跡」と西南隅の「折り」と「櫓台跡」は、正面、北面、西南面を防御する横矢櫓の備えを明瞭に残していて、戦国期城郭の特徴をよく遺存している。 天正18(1590)年、小田原北条方に組みしていた冨岡氏は、豊臣氏の小田原攻めとともに破れ、廃城となった。 (看板資料より)
天正8(1580)年に武田勝頼による東上州攻略の際に、新田、小泉、館林などを攻撃した後に、膳城を攻略したと書かれた資料もありました。この時武田勝頼に落とされたのかどうかは不明ですが、信玄の時代から上杉、北条などとの間で争奪戦の舞台になったようです。 武田信玄は、岩櫃城を攻略した年である永禄6(1563)年12月に北条氏康とともに太田市の金山城の由良成繁を攻撃します。これに対して上杉謙信は小泉城の冨岡重朝に命じて太田資正とともに桐生に出陣して金山城を攻撃させますが、信玄、氏康が兵を引いたため決戦には至りませんでした。その後も武田信玄が倉賀野城を攻略して箕輪城の攻撃に本腰を入れ始めると、謙信から小泉城の冨岡重朝に対して箕輪城の援護や北条の牽制などを命じています。 (定本武田信玄より)