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広島市

光明寺


2009年08月12日

古くから武田氏と関係があり、武田信光が円妙院(後の光明寺)をもって鬼門鎮護の道場として崇敬したという記録が地方の諸伝に残されています。武田信隆寄進の鰐口をはじめ、数々の重宝が伝えられています。
(広島市のホームページより)


光明寺に武田信隆が寄進した鰐口があるとのことで立ち寄ってみました。もう18時過ぎだったのですが闊達なご住職が対応してくれました。
武田信隆が寄進した鰐口について聞いたところ明日用意してくれるとのことでした。
今年の秋に開催される、市制、築城記念のイベントでも出展されるとのことでした。

翌日鰐口を見せてもらいました。手袋をして実際に持たせてもらいました。どちらが表なのかは確認し忘れたのですが、
一方には、「夜珠円妙院毘盧遮那佛尊前」と彫られていて、
反対側には、「武田駿河守信隆寄進之」「正安二歳庚子三月吉祥日」と彫られていました。
お話によると、現在の地名である安:やすは以前は夜珠と書いたのだそうです。夜の珠とは蛍のことなのだそうで昔は蛍が沢山いたのだそうです。

 

 
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