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山梨県山梨市

窪八幡神社

2003年08月30日

 

窪八幡神社本殿
当社は、貞観元(859)年清和天皇の勅願により、豊前国(大分県)宇佐八幡宮より勧請、東国鎮護として笛吹川の中島、大井俣の地に建立。後に現在の窪の地に還座した。
甲斐源氏一門、とくに国主武田氏の崇敬篤く、代々社殿造営を行っている。現本殿は、応永17(1410)年武田信満が再建。享禄4(1531)年武田信虎が修復、弘治3(1557)年武田晴信が川中島合戦の戦勝祈願成就によって、御扉と金箔による豪華な壁面を奉納している。昭和26年、解体復元工事が竣工した。
(看板資料より)

窪八幡神社拝殿付鰐口
天文3(1534)年武田信虎によって造立。現拝殿は、弘治3(1557)年武田晴信により、本殿の御扉と共に再建された。鰐口は、表に天文22年、裏に弘治3年の銘あり。昭和28年、解体復元工事が竣工した。
(看板資料より)

摂社、若宮八幡神社本殿・拝殿
社記によれば、貞観元年、御正殿と共に勧請建立された。寛治7年、新羅三郎義光により再建。応永7年、武田信昌が修造したという。拝殿は、社記「天文5(1536)年に新たに修造す」とあり、形式手法より現建物と思われる。昭和28年、解体復元工事が竣工した。
(看板資料より)


鐘楼

 

建立年代は不祥であるが、神社に現存する天文22(1553)年頃の「境内古図」に現在の位置に記されており、それ以前の建造であることを明らかにしている。形式・技法から見て、明応9(1501)年再建の武内社と高良社に類似していることから同年代の建造と推定される。
この鐘楼は、腐朽がその極に達し、倒壊寸前にあったが、県有形文化財に指定され、昭和56年解体復元工事が竣工した。中世以来、明治維新までの神仏混淆時代の名ごりを今に伝える唯一の建築である。現在、重要文化財の鐘楼は、全国で三十三棟を数えるが、屋根が同形式のものは一棟あるのみである。
(看板資料より)


窪八幡神社如法経塔

 

如法経とは、「写経に羽毛を用いず草を筆とし石を墨として一字ごとに礼拝書写するいわゆる如法行によった経文を埋納して建てた塔」のことである。
享禄5(1532)年のこの塔は安山岩製で、現高1.40メートル、基礎・塔身・笠などの示す比率はよく均衡が保たれ、?型を設けた軒の反りが屋根の反り方と相まって、室町期の特色を現わし、全国的にも例の少ない大切な遺構である。
(看板資料より)

 

 
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