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山梨県甲府市

熊城

2012年04月30日

目印の吸殻入れ

4月15日に一度熊城に挑戦したのですが、その時は要害城で知り合った安中市の方と一緒に要害城の裏手から熊城を目指しました。最初の案内板の所では右に進みしばらく歩くと上の写真の所に出ます。目印は吸殻入れです。前回はここから上に登ってしまったのですが、その後安中市の方から連絡があり、この吸殻入れを下っていけば良いことが分かったのです。実は前回もここから少し下ってみたのですが途中で断念していたのです。

要害城の裏手を尾根伝いに東から南に向かうと、尾根を大きく切断する掘切がある。ここから南側に遺構が存在する。この堀切には幅の狭い土橋が架けられ、ここを渡って進んでいくと第1の郭がある。遺構の中では最も高所に位置している。ほぼ平坦の郭を取り巻いて土塁がめぐり、西側の一段下がった所には帯郭がある。土塁の基底部には石積みが設けられているが、この石積みは特徴的でほとんどの郭にみられる。しかも土塁と同じく南側にしか設けられておらず、南側を重視した様子がうかがえる。小路伝いに下ると大きい郭がある。東西30m、南北13mほどの長方形を呈した郭で、ここでも南側は土塁とその脇に石積みがみられ、北側には二段の帯郭がある。下方には3つほど小さな郭がみられる。更にこれらの郭群から20mほど下がった地点に形状を異にした遺構がある。南北方向の掘切で画され、中央に一段高い平坦部を設けるもので、監視的な機能を有したようである。この遺構群は文献上には登場せず、今日まで目立たないものであった。おそらく要害城の一環として築かれ、付属的性格をもっていたからであろう。更に小規模な郭群を特に南方を重視しながら東西180mにわたって配置する姿からは、要害城の弱点を補いつつ、詰城としての本城を完璧に防衛する意図が強くうかがわれ、あらためて要害城の堅固さを知ることができるのである。
(日本城郭大系より)

一度主郭らしき所に出ますが、更に先に進みます。途中で急な下り坂なども出てきますがひるまずに進みます。すると大きな堀切が目の前に現れます。
基底部まで降りてみるとどこから登れば良いのか悩んでしまうほどの大きさです。しかし慎重に斜面を観察すると道のようなものがあった痕跡を見つけることができると思います。登った所が郭で、土塁などの遺構を確認することができました。

主郭周辺の土塁

主郭周辺の土塁

掘切と土橋

そのまま麓まで下ってくるとガレ場のような所に出ます。中央は低くなっていて井戸のようにも思えましたが詳細は不明です。


更に下ると、下の写真の所に出ます。ここは4月15日に来た時に車を止めた山神宮の所です。今回は要害城に登ってその裏手から下ってきましたが、熊城だけに行くのであればこの山神宮の奥の道を少し登って左側に入って行って後は尾根伝い登って行くことができます。


要害城

 

 
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