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長野県長野市

牧之島城

2003年09月
22日

 

この城は、永禄9(1566)年武田信玄が馬場信房(美濃守)に築かせ、越後に対する警衛と更科・水内山部の鎮撫にあてた城である。
元香坂氏の居城牧城の一部で、犀川の大拗曲部を利用して新たに縄張りしたもので、虎ノ口の丸馬出し、本丸脇の隠れ馬出し(千人桝)をはじめ、諸所に築城の妙をこらしている。
天正3(1575)年5月21日信房が長篠に戦死後、子信春在城したが、天正10年武田氏滅亡後、上杉景勝の属城になり、芋川親正父子等が置かれた。
慶長3(1598)年景勝の移封後、海津城主田丸直昌・森忠政等がここを管し、慶長8年海津城主になった松平忠輝は、はじめ老臣松平信直に在城させたが、元和2(1616)年忠輝が罪によって改易(所領没収)されると共に牧之島城も廃城になり、築城以来50年で城郭としての機能を失った。
(看板資料より)

 

国道19号線を長野から松本方面に進み、信州新町役場を過ぎてしばらく行ったところに牧之島城の看板が出て来るのでそれに従って左折して坂を登っていくと神社の鳥居と牧之島城の説明板があるところに出ます。(上の写真)


そこを過ぎると右側に駐車場がありますが、ここが三ノ丸になっています。三ノ丸の駐車場から橋を渡ると千人桝形があって本丸、二ノ丸へ続き、橋を渡らずに土塁を隔てて反対方向には三日月堀が配されています。(写真下)

三日月堀は駐車場の入口付近からも見ることができますし、逆に三ノ丸の奥の方からも確認することができます。(一番上の写真)


橋を渡って千人桝形を通過して本丸に出ると奥には御前水井があり、更にその奥から土塁に登って右の方に進むと馬場信房之城址の碑があります。また本丸から右の方に行くと堀にかけられている橋を渡って広場になっていていてここが二ノ丸になっています。


また、三ノ丸(駐車場)の奥の先には犀川が見え、思ったより高い所に城があったことが分かります。

 
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