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千葉県木更津市

中尾城


2009年09月20日

主郭の神社

この中尾城は、真里谷信興が真里谷城の支城として明応年間に築いたものといわれている。
また、『笹子落草子』と二部作になる『中尾落草子』に、落城に至る経過が書かれているが、真偽は不明である。これによると、天文12(1543)年、大多喜城主の武田朝信や相模の北条氏康らの援軍で、笹子城を守っていた鶴見五郎を攻め、自害させた後藤兵庫助がこの中尾城にいたのが4月とある。家臣の鶴見五郎を殺された真里谷信秋が、安房の里見義堯に頼んで、その属将である正木時茂らと中尾城を逆襲し、後藤氏を敗死させたという。つまり、この中尾城落城の時期は、4月と書かれているだけであり、翌年の13年から数年内と思われる。
(日本城郭大系より)

手前の郭にあった石碑

中尾城の場所を聞いた場所がちょうど城の入口でした。細い道を登って行き、最初に左側の方に登って行きましたが途中で行き止まりになってしまいました。戻ってきて今度は右側に登っていくと最初に石碑のある小さな郭らしきものがあって、その先に鳥居があり、一番奥には神社の本殿もありました。裏側には土塁もありました。

道路から見上げた郭

 
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