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山梨県身延町

南松院

2013年12月22日

正福山南松院
正面庭園は夢窓国師作庭と伝えられている。二段式廻廊庭園である、池中の亀石は南松院夫人(武田信玄姉)が穴山信友に嫁ぐ際、父信虎に請い持参したと伝えられる武田家伝来の霊亀石である。新庭園・陽の庭・陰の庭・正福の庭と区分されています。九山八海の庭園で極楽浄土をあらわしています。
(看板資料より)

正福山南松院
創立:永禄9(1566)年
開山:天輪寺、桃隠正壽禅師
開基:武田信玄姉(梅雪斉母君)
本尊:釈迦牟尼如来
本院の前身は、文和(1352)応永元(1394)の頃、西北方の増野山の南松院平に建てられた寺であったと伝えられている。
開基穴山信友夫人は武田信玄の姉で梅雪の生母である。信友は永禄3年に歿したが、夫人は永禄9年4月に歿し南松院殿葵庵理誠大姉と法謚された。墓地は寺地北の丘腹にある。夫人の歿後間もなく開基開山されたものであり、第二世方丈明院和尚は天正9(1581)年11月6日、正親町天皇の綸旨を受け京都妙心寺住持職に任ぜられた。創建当寺の堂宇は山門、本堂、客殿、庫裡等が輪奐の美を極めていたが慶応2(1866)年2月14日落雷炎上し宝蔵、穀蔵、通用門、浴室を残して灰燼に帰した。明治12(1879)年現状の再建をみた。院内西方の池泉に信友夫人遺愛の亀石を配した庭園は、院創立当時の築庭で夢窓流借景式庭園である。
梅雪の養女下山殿と徳川家康の子武田万千代丸(信吉)は水戸藩を開いたが21歳で夭逝したので家康12男頼房が水戸に入った。この縁で本院の修理は水戸藩で行った。梅雪夫人(見性院)は信玄の娘で梅雪歿後間もなく一子勝千代の死により天正15(1587)年穴山氏が絶家したので江戸城に入り三代将軍家光の異母弟会津藩祖保科正之を養育した。このため幕府は南松院に御朱印地25石を寄進し明治に至った。
(看板資料より)

亀石



2012年04月15日


南松院の墓

信友の正室南松院(葵庵理誠)は、美女の誉れ高く、仏道への帰依も篤い聡明な女性で、弘治3(1557)年に恵林寺住職を務めたこともある京都天龍寺の高僧策彦周良から「葵庵理誠」の法号を授けられている。南松院(葵庵理誠)は永禄元(1558)年7月13日に自身の逆修法要を行っている。
その後南松院は永禄9(1566)年4月25日に逝去した。墓所は南松院(身延町下山)にある。信君は天正10(1582)年3月の武田氏滅亡後に、生母南松院の17回忌を営み、その席上で武田家を自身の手で再興することを誓っている。
(平山優著 穴山武田氏より)

 



2004年04月24日

正福山南松院
正面庭園は夢窓国師作庭と伝えられている。二段式廻廊庭園である、池中の亀石は南松院夫人(武田信玄姉)が穴山信友に嫁ぐ際、父信虎に請い持参したと伝えられる武田家伝来の霊亀石である。新庭園・陽の庭・陰の庭・正福の庭と区分されています。九山八海の庭園で極楽浄土をあらわしています。
(看板資料より)


正福山南松院
創立:永禄9(1566)年
開山:天輪寺、桃隠正壽禅師
開基:武田信玄姉(梅雪斉母君)
本尊:釈迦牟尼如来
本院の前身は、文和(1352)応永元(1394)の頃、西北方の増野山の南松院平に建てられた寺であったと伝えられている。
開基穴山信友夫人は武田信玄の姉で梅雪の生母である。信友は永禄3年に歿したが、夫人は永禄9年4月に歿し南松院殿葵庵理誠大姉と法謚された。墓地は寺地北の丘腹にある。夫人の歿後間もなく開基開山されたものであり、第二世方丈明院和尚は天正9(1581)年11月6日、正親町天皇の綸旨を受け京都妙心寺住持職に任ぜられた。創建当寺の堂宇は山門、本堂、客殿、庫裡等が輪奐の美を極めていたが慶応2(1866)年2月14日落雷炎上し宝蔵、穀蔵、通用門、浴室を残して灰燼に帰した。明治12(1879)年現状の再建をみた。院内西方の池泉に信友夫人遺愛の亀石を配した庭園は、院創立当時の築庭で夢窓流借景式庭園である。
梅雪の養女下山殿と徳川家康の子武田万千代丸(信吉)は水戸藩を開いたが21歳で夭逝したので家康12男頼房が水戸に入った。この縁で本院の修理は水戸藩で行った。梅雪夫人(見性院)は信玄の娘で梅雪歿後間もなく一子勝千代の死により天正15(1587)年穴山氏が絶家したので江戸城に入り三代将軍家光の異母弟会津藩祖保科正之を養育した。このため幕府は南松院に御朱印地25石を寄進し明治に至った。
(看板資料より)

亀石

 


清泰寺
平林寺
最恩寺

 

 
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