|
正福山南松院
創立:永禄9(1566)年
開山:天輪寺、桃隠正壽禅師
開基:武田信玄姉(梅雪斉母君)
本尊:釈迦牟尼如来
本院の前身は、文和(1352)応永元(1394)の頃、西北方の増野山の南松院平に建てられた寺であったと伝えられている。
開基穴山信友夫人は武田信玄の姉で梅雪の生母である。信友は永禄3年に歿したが、夫人は永禄9年4月に歿し南松院殿葵庵理誠大姉と法謚された。墓地は寺地北の丘腹にある。夫人の歿後間もなく開基開山されたものであり、第二世方丈明院和尚は天正9(1581)年11月6日、正親町天皇の綸旨を受け京都妙心寺住持職に任ぜられた。創建当寺の堂宇は山門、本堂、客殿、庫裡等が輪奐の美を極めていたが慶応2(1866)年2月14日落雷炎上し宝蔵、穀蔵、通用門、浴室を残して灰燼に帰した。明治12(1879)年現状の再建をみた。院内西方の池泉に信友夫人遺愛の亀石を配した庭園は、院創立当時の築庭で夢窓流借景式庭園である。
梅雪の養女下山殿と徳川家康の子武田万千代丸(信吉)は水戸藩を開いたが21歳で夭逝したので家康12男頼房が水戸に入った。この縁で本院の修理は水戸藩で行った。梅雪夫人(見性院)は信玄の娘で梅雪歿後間もなく一子勝千代の死により天正15(1587)年穴山氏が絶家したので江戸城に入り三代将軍家光の異母弟会津藩祖保科正之を養育した。このため幕府は南松院に御朱印地25石を寄進し明治に至った。
(看板資料より)
|