←前のページへ トップページ↑ 次のページへ→

山梨県甲府市

竜華院

2007年12月01日

龍華院の略由緒
当山は吉国山龍華院と言い、一宮町中山廣厳院の末寺で、常法幢七ヶ寺の一つであり、本尊は華厳釈迦如来、左右は文殊菩薩、普賢菩薩である。寺記には、いにしえは真言宗、前附山大祥寺と言い、弘法大師が大同元(806)年に草創したと伝えられ、その後、衰微していたところ威韓和尚が、南北朝時代はじめの歴応(1338-41年)の頃、今の地に移して再興したが、再び衰えて廃壊していたのを、曽根の祥雲道慶が再建して、広厳院雲岬の法嗣桂節宗昌を請じて、開山第一祖とし、山寺号を更めて曹洞宗龍華院となれり、時に嘉吉元(1441)年である。桂節和尚は、妙亀譫語集によると「足下に、輝山、太虚、真翁、雪叟の四傑出で其の法、関外に昌に、其の派、東海に溢る。流れ分かれて、三百余員、一流の淵源と稱する所以なり。」桂節は、明応5(1496)年5月2日に示寂す。
天正10(1582)年3月3日、徳川家康当院に御宿陣せられ、山寺号をお聞きになり、入国当初の吉祥である。竜は雲を得て遍く国土を潤すものなりと申され、吉国山の山号を賜れり。この時、住持5世愚庵拝謁し、御朱印の禁制、寺領の御判物を賜る。
境内に播竜池、独鈷水、旧間門坂に梵字石あり。寺宝に小野道風の直筆般若心経一巻あり、伽藍全焼宝暦12(1762)年、本堂、書院は寛政4(1792)年23世大嶺周達の時再建せり。末寺現在35ヶ寺。甲斐百八霊場の第46番札所なり。
(看板資料より)

甲府南インターチェンジの近くに龍華院というお寺があり、その周辺に曽根内匠が住んでいた館跡があるとのことで寄ってみました。大きくてきれいに整備されていて心が気持ちよくなりました。お寺の方がいたのでお話を聞いてみたところ、パンフレットを頂き更に本堂の中に案内してくれました。曽根氏が開基であるとのことでした。また天正10年の武田家滅亡の際には、徳川家康が3月3日に宿陣し、そのときに賜った禁制のコピーなども見せて頂きました。

 
←前のページへ トップページ↑ 次のページへ→