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岐阜県高山市

三仏寺城

2006年05月04日

飛騨最古の城 三仏寺城跡
保延、永治(1135〜1141)の頃に平時輔が飛騨の守としてこの城に在城した。三代目の景則の頃から飛騨は平家の領国となった。四代目景家は四人の子息と共に京へ上っていたが、治承5(1181)年木曽義仲の軍に攻められて落城し、景家の室阿紀伊の方と二子景綱の息女鶴の前は行方知れずとなった。義仲勢は飛騨の良馬を求めたといわれる。
鎌倉時代には地頭の藤原朝高、畑六郎左衛門藤原安高が在城した。戦国時代には、三木直頼の後、天文16(1547)年大八賀郷を押領した平野右衛門が入城した。最後の城主三木直弘は永禄7(1564)年甲斐武田氏に攻められ、自ら城に火を放ち逃げた。以降、三仏寺城は廃城となった。
(看板資料より)

三仏寺城の本丸跡に行くためには、三仏寺城跡搦手の石碑(一番上の写真のところ)から墓地の中を進んで行くと墓域の上に続いている遊歩道を見つけることができますのでこれを登って行けばOKです。途中上から降りて来た人に本丸への行き方を聞いて、道が分かれているところは全体的に右へ右へと向って行けば良いことを教えてくれました。
実は最初は墓域を越えて車で一番奥まで行ってしまいそこから藪の中を登ろうとして断念していたのです。上から降りてきた人たちもそちらの方から登って行ってしまったのだそうでした。道が分かりづらいので気をつけましょう。

 

 
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