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長野県長野市

清水寺


2008年12月29日

龍燈山清水寺縁起
龍燈山清水寺は、往古大同年間(9世紀初)征夷大将軍坂上田村麿が東北地方の蝦夷征伐遠征の折、戦勝祈願のため建立された古刹で、開山寛空と云われる。当村十二原に七堂伽藍備わり居りしと云われるが、創建後しばしば火難に遭い、一時衰亡に瀕したものを川中島合戦の砌、武田信玄公観音を信仰し、供料若干を給し堂宇を再建すと云われる。従って武田家を中興開祖とする。其の後又、江戸時代正徳年間の火難により善美壮観を尽した堂塔伽藍悉く焼亡し、享保年間現在地に移転したものである。
併し幸にして当時の人々の力により、本尊千手観音を始め諸尊像は難を免れ、其の後本尊千手観音、聖観音、地蔵観音の三躯は昭和12年国宝に指定され、其の他の毘沙門天、薬師如来、四天王等の諸尊像も亦これに準ずる重要文化財として推称されている。
殊に本尊千手観音、聖観音、地蔵観音の三尊は平安初期の作で、何れも千年有余の星霜を経、就中、千手観音像は信州現存の国宝中最古最優の仏像として嶄然頭角を抜き、関東、中部、北陸、東北を睥睨するものとして、文部技官倉田文作氏に推賞されているものである。
(パンフレット資料より)

重要文化財 木造千手観音菩薩立像
木造千手観音菩薩立像は当寺の本尊として伝来した仏像。桂材の一木造りで像高は180cm。衣の壁が大波と小波が交互に波打つ翻波式である点などに、いわゆる貞観様式の特徴が顕著にうかがわれる。量感を欠き優美な姿態をとるところから、実際の製作年代は平安時代中頃に下るとみられるが、以下の諸像とともに長野県内では最古に属する木彫像である。なお、全身に散らされた金箔は、江戸時代の補修の際に施されたものである。
(看板資料より)

重要文化財 木造観音菩薩立像
木造観音菩薩立像も同様に桂材の一木造りで像高は159cm。やはり平安中期の作例とみられるが、肩の盛り上がりなどに、前者よりも貞観様式の特徴がよく受け継がれている。
(看板資料より)

重要文化財 木造地蔵菩薩立像
木造地蔵菩薩立像もはやり桂材の一木造りで、像高は157cm。堂々たる体躯や、頬を張って前方を見下ろすような面貌は前者と共通しており、おそらく同じ作者の手になるものであろう。
(看板資料より)

県宝 木造薬師如来立像
木造薬師如来立像は同様に桂材の一木造りで、翻波式の衣文や肩の張りなどに貞観様式の特徴がみられるが、像高は104cmと小型で、本来は七仏薬師堂のうちの一体ではなかったかと推測される。
(看板資料より)

市指定 木造毘沙門天像
木造毘沙門天像も同様に桂材の一木造りで、像高は157.3cm。足下に邪鬼を踏み、これも含めた総高は177cm。江戸時代の補修時の彩色などで本来の面貌が変容しているが製作年代は以上の4躯とほぼ同時期であろう。四天王像のうちの一体と思われる。
(看板資料より)


清水寺は松代の市内を経て南に入って行ったところにありました。現地に到着して看板を読んで初めてここには重要文化財の仏像がいくつかあることを知りました。境内に入って本堂の左側にある説明を読んでいたら、犬が激しく鳴いていて、その声を聞いてお寺のご婦人が出てきてくれました。仏像参拝されますか?と声をかけて頂いたのでもちろんお願いしました。本堂前は凍結していて危うく滑って転倒しそうになってしまいました。写真撮影は禁止とのことで写真は無いのですが、一体ずつ説明していただきました。

 

 
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